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2017年11月30日




これは放散虫在庫の一部。丸い三重の殻をもつ放散虫をストックしている部分を実体顕微鏡でみているところです(コリメート法で簡易撮影)。その下にスポンジ放散虫が一列に並べてあります。どーしてこんなことをしなくてはいけないのかというと,丸い放散虫はコロコロと転がっていってガラス基板から転げ落ちどこかにいってしまうからです。基板をFontaxのNo.3で挟んで移動したりすることもあるわけですが,少しの作業ミスも許されません。もしプルプルと震えてしまったり,ピンセットの刃先が甘くて基板がくるくる回転などしようものなら,丸い放散虫は振り落とされてしまうのです。

そういった事故を減らすために,スポンジ型の放散虫を敷き詰めて「放散虫止め」を作っておくのです。場合によっては,「輪中」を作って内部に放散虫を収納することもあります。まるで子どもの積み木遊びのような原始的なものですが,じっさいに有効なので拾い出しにはこのような土木工事が欠かせないものとなっています(画像/MWS)。








2017年11月29日




(財)藤原ナチュラルヒストリー振興財団によるナチュラルヒストリーフォトコンテストの〆切(11月30日)が迫って参りました。分野等は特に限定せず自然の美しさやすばらしさを表現した作品を受け付けるとのことで,本ページをご覧の方々は誰でも手持ちのストック画像をお持ちではないかと思います。このようなフォトコンテストを継続してくださるのはほんとうに貴重なことで,今後もぜひ続けてもらえるように,たくさんの応募があればと思っています。5MB以下のファイルをメール添付という簡単な応募方法で,ペンネームも可能。フォトコンテスト体験の最初の一歩にもよいかと思います。 こちら に応募方法が書かれています。

きょうの画像はそんな話題と関係あるのかないのかよくわからない巨大な岩石。赤いスジが見えますがこれは赤色チャートです。数億年前にこの岩石材料はまだ海の中にあって,放散虫と,大気経由で輸送されてきた微細な鉱物粒子が千年に1mmというような時間をかけながら降り積もって堆積していったとされています。壮大なドラマが秘められていたりするのです(画像/MWS)。








2017年11月28日




LED照明というものは熱も出ないし電力消費も少ないし,何より定電流駆動で輝度が完全に一定にできるので,顕微鏡で生きている生物を検鏡するときにはじつに有り難いものです。いままでハロゲンランプの熱で焼き殺されていた細胞なども,生きたまま観察を続けられます。しかし色再現という点ではそれほどよろしくないのが現状です。広く出回っている白LEDで顕微鏡観察を行うと,珪藻の色が出ません。赤色の欠損と470-500nmの谷間が影響して変な色になります。

また,オートホワイトで撮影してみると,白LEDはホワイトバランスが著しく崩れます。そのことを表しているのがきょうの画像で,背景が青っぽいのが白LEDで撮影したもの。その隣で少し背景が暖色になっている画像はブルーライトカットをしてみたもの。ブルーライトを大きくカットすると,オートホワイトでも比較的まともなホワイトバランスになり,色再現もまあまあです。

白LEDは著しく偏ったスペクトル分布を持っているので,どうやって画像を表すかも考えどころです。ホワイトバランスプリセットにして背景を完全にニュートラルにするよりも,背景をやや暖色気味に偏らせて全体に赤を載せてやるほうが,物体の色に違和感がなくみえるような気もします。デーライトは完全なニュートラルではないので,背景色を完全ニュートラルにする必要はないのかもしれません。考え方次第の問題でもあって結論がきれいに出るようなものではなさそうなので深入りはしません(できません)が,どうするのがいいのかなあといつも引っかかります。

画像に写っているのは近所の公園から採取したメロシラ・バリアンスという珪藻。チャヅツケイソウ(茶筒珪藻)の和名が与えられています。ゆるく流れる淡水で多量に発生してくる,どこにでもいる珪藻です(画像/MWS)。








2017年11月27日






デジタルカメラは簡単にホワイトバランスがプリセットでき,背景がニュートラルな画像を手軽に得られ大変便利です。けれどもホワイトバランスを合わせたからといって,物体の色が正しく再現されているわけではありません。照明光の波長組成が大幅に異なれば,その部分に吸収をもつ物体の色再現は変わります。そのことを示したのがきょうの画像。画像一枚目は青色光に富む光源で撮影したもの。二枚目は青色光の少ない光源で撮影したもの。藻類の色がかなり異なります。タングステンランプで色温度を調整した演色性の高い照明を基準として,それに近い色再現になるように留意しないと,間違った印象を与える可能性もあります。科学写真として撮影している場合はもちろん,WEB上で広くばらまく画像でも,あまりおかしな印象を与えないように配慮することが望ましいと(個人的には)思います(画像/MWS)。








2017年11月26日




これがパック寿司の正しい食べ方…です。地方に出かけたときは,まず寿司パックを探します。新鮮でウマイものがふつうに売られていますし,食中毒上の配慮が最も行き届いた食品のように思われるからです。加熱食品などは劣化していても濃い味付けてダマされて食べてしまい体調を崩すこともありますし,お弁当などはいったい中に何が入っているのか正体不明…なものを食わされることになります。寿司は単純明快で,見て理解できるものを口にできますし,万一劣化していても呑み込む前に判明します。仕事先に迷惑をかけないためにも安全なものを食べるわけで,それにはパック寿司を宿で食べるのがいちばんなのです。

しかし問題もあります。寿司は温度管理がいのちの料理でもあります。カウンターで握ってもらうときには,目の前に出されてすぐにつまむのがベストなタイミングで,そのときのシャリの温度は25〜30℃くらいではないかと思います。ネタの温度は様々ですが,だいたい15-20℃がベストなところでしょう。パック寿司は冷蔵で販売されているので,その温度条件を満たしません。冷たいまま食べる寿司ほどまずいものはない気もします。お腹が冷えるし,味もよくわからない。。

それを一挙解決するのがきょうの画像。以前も本ページに書きましたが,寿司パックのフタを外し,フタに寿司を敷き詰めていきます。それを熱い湯の上に浮かべます。フタはポリスチレンがほとんどで,熱を伝えにくいですし,酢飯もそんなに早くは温まらないので,10-15分くらいは浮かべておきます。ようするに画像の条件にしたら放置して,ほかの食べ物等の準備をしていればよいわけです。で,ちょうどよい具合になったら,しょうゆを滴下していただきます…。これで,寿司屋で食べるときの温度とほぼ同じものが再現できます。

あたためによる味の違いはじつに驚くべきもので,東北地方などでは,そこいらへんのスーパーのパック寿司でも最上級の夕飯に変身します。筆者は脂っこいものはあまり好みではないので,画像のごとく白身魚系が中心。サワラのにぎり寿司と,キンメ,ホウボウなど。あまり味の主張が強くない寿司でも,こうして少しあたためて食べると風味がよくわかり幸せなのです。

この必殺技は,ほんとうは内緒にしておきたいものでしたが,開発から約10年の歳月も経過し,出張先ばかりでなく自宅でもこのようにして食べているので,一般家庭にも広まってよいかと書き記した次第です。なお,本記事を参考にして何らかの不都合が生じても筆者は一切関知しません…(当たり前だ)。でもこの食べ方に慣れると,世の中の一般の方々は,つめたい寿司をどうやって食べているんだろうと思うほどのもの。お試しあれといいたい気分です(画像/MWS)。








2017年11月25日










先日の東北出張では会場が仙台城に隣接していたので仙台城に立ち寄ったわけですが,ついついきょうの画像のような部分が気になってしまいます。仕事が人間の脳みそを変えていくわけですが,こういった積み石の様子をみていると,なんか仕事上のヒントが隠されているような気がしてなりません。石を一つ一つみていくと,在来工法の木造建築の木組みみたいに石が組まれているのです。これが珪藻を組んでいくことを連想させるので,じーっと眺めてしまうのです。こんなことを考える人間はたぶん変態なのでしょうが,もう元には戻れません。。

伊達政宗のことば,
仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂いとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。
を噛みしめながら(引用元はこちら),前に進むしかありません(画像/MWS)。








2017年11月24日






珪藻や放散虫の拾い出し用の試料はチリやホコリがつかないように金属製のフタをしてさらに樹脂製の箱を上から被せていますが,何年もの間にはどこからかホコリが飛んできます。検鏡中に落ちてくるものもありますが,そういうものは条件次第でうんと減らせます。しかしどこからか入り込む謎のホコリはそう簡単には減らせません。侵入の現場をとらえたことがないですが,おそらくフタの開閉で動く空気に乗ってきて,フタの近くのホコリが動き,そのときにカバーグラスのわずかな帯電に引き寄せられて吸い付いている感じです。そういったものは毛先で拾ってカバーグラスの片隅に寄せておき,たまってきたらまとめて取り除きます。ホコリは珪藻や放散虫に比べれば巨大ですが,取り除くのも簡単なので,それほど悪さをしません。除去しにくいチリの方が厄介者です(画像/MWS)。








2017年11月23日






これはロパロディアのなかま。淡水産の珪藻で近所の水たまりにいたものです。細胞中央に二つのまるい玉っころがありますが,これは核ではありません。スフェロイドボディというもので取り込まれたシアノバクテリアが光合成能力を失ったものなのだそうです。窒素固定能は残っており,窒素ガスを窒素化合物にかえることができます。珪藻はスフェロイドボディによって固定された窒素化合物を使うことができます。要するに取り込まれたシアノバクテリアがオルガネラになる途中経過のようなものです。進化が起きている現場というわけで,なんともふしぎなものです。詳しいレポートは,筑波大学のプレスリリースをごらんください(こちら)。

こういったことも,そこいらへんの池の水を観察しただけで出会ったりするのです。顕微鏡観察というのはホント,奥が深くて飽きが来ず,学問の深淵とつながっていて,誰にでもお勧めできるものだと思います(画像/MWS)。








2017年11月22日(2)




編集者がなぜ著者を急かして特急サービスを要求し,決められた短い期間内で本を出版しようとするのか。それにはちゃんと理由があります。印刷所の都合ということや,配本のタイミング,教科書販売のシーズンに合わせるなどの実務上の理由が主ですが,経営状態が悪い出版社の場合は,それらに加えて当座をしのぐためという理由もあります。

本というのはふしぎな商品で,出版社が取次に出荷したら,その本が売れなくても請求を立てることができ,出荷分を現金化できるのです。数ヶ月から一年後に売れなかった分が返品されてくることもあるので,その場合は精算しないといけないので,出荷した分全てが売上げになるわけではないのですが,それでも100万円単位の現金化が可能なので,小規模出版社ならそれで給与や経費をまかなうことができます。そしてその金はすぐになくなってしまうので,次の本を急いで出して取次に出荷して,また現金化…というように自転車操業するのです。

この状況になっていると,出版までの作業期間が長くなると出版社の手持ち現金が底をついてしまうので,著者に対して特急サービスを要求して,早く!早く!ということになるのです。中小出版社で,分野を選ばず,在野の著者を選んで次々と出版点数を稼いでいるところは要注意かもしれません。

筆者によせられたいろいろな意見の中で,「どうして50万円ぽっちを払うの渋ったんだろうね」というご意見と,「もし支払いを請求しても払ってもらえなかったかもしれませんね」というご意見があって,まさにその通りなのでした。そしてこの2つのご意見は,同じことを言っているのです。自転車操業の出版社は,50万円ぽっちを払いたくない状態にさらされていて,実際,全ての著者への支払いは無理だったのかもしれないのです。

そういう台所事情を話してくれて支払い期日を延長してくれ,と事前に連絡をもらえれば,「そりゃああ大変ですねえ,オレの本が今後しっかりと売上げを叩き出すから支払いは待つよ。身体壊さないようにがんばってねえ」と応じたことでしょう。自分で言うのも何だけれども,筆者はとてもやさしいのです。相手の誠心誠意が感じられれば連絡一本でウン十万円を一年待ってもかまいません。メール一本あれば了解したんだけどねえ。

しかしまぁ,この売れてないのに現金化が可能なシステムはよくないですねえ。webが発達した現在,このシステムはちょっと制度をいじればなくせるような気もします。1)新品書籍を出版社から送付する場合は送料を特別割引する,2)新品書籍の購入費の支払いは,手数料を特別割引する,ということにして取次を廃止して,出版社からの直販ルートを残すことにすれば,現在の価格を維持して消費者に負担を押しつけることなく,「売れたときだけ現金化」することができるような気がします。

「売れたときだけ現金化」されるのでしたら,もっと売る努力をするでしょうし,中身のないスカスカな本を出して換金目的だけの本を作る現在の状況を変えることもできるような気がします。

もっとも,健全な経営の出版社も多く,そういった出版社は現在でもじっくり時間をかけて良書を作っていて,自転車操業などしていません。だから取次をつぶすことを考えるよりは,自転車操業の出版社を潰すことを考えた方がよいのかもしれません。最近筆者が一緒に仕事をしたりお話しを聞いたりした編集者や記者の方々は,規模の大きなところの人が多かったのですが,皆さん質の高いお仕事をするいい人ばかりでした。学研プラスさん,みすず書房さん,誠文堂新光社さん出入りの編プロさん,恒星社厚生閣さん,福音館書店さん,朝日小学生新聞さん,聖教新聞社さん,技術評論社出入りの編プロさん,その他,教科書系出版社の方々など,皆さんのお仕事から多くを学んでいます(画像/MWS)。








2017年11月22日




編集者は自分の発案で本を作ります。企画書をつくり社内の了解を得れば,あとは本作りのほぼ全権を持っていることになります。編集者が一人で仕事の全体を管理するわけで,著者と交渉することにはじまり,本を作って出版し,著者に報酬の支払いが完了するまでの全プロセスを見届ける必要があります。

にもかかわらず一部の編集者が支払伝票を経理に回さずに放置したり,著者への支払いが完了したことを確認せずに放置したりできるのかというと,出版社と編集者個人に直接的な不利益がリアルタイムで降りかかることがないということを彼等が知っているからです。

著者に支払う分の現金を不払いにすれば,そのカネはまるまる社内に残るので,それは社員の給与の支払いや経費の支払いに充てることができます。著者をしゃぶり尽くすことができて,これはおいしいに違いないことでしょう。もしあとから支払いの催促が来たら,あっすいませんすいませんと心から謝ったフリをして送金すればいいのです。督促が来なければしめしめと喜んで,藪蛇にならないように著者との連絡を絶ち,債務の時効が来るまで指折り数えていればいいのです。

運良く契約書を交わさないことに成功すれば,契約内容がないのですから,相手が法務に詳しくない限りは意のままです。支払期限は自在に変更し,印税率は引き下げ,正しい出版部数を伝えず,再版通知義務も知らせないのですから,著者との引き合いは終始有利に進めることができ,少額の報酬を渡すだけで残りは社内の資産にすることができます。著者は正確な発行部数も知らされず,再版も知らされず,正当な報酬を受け取ることができなくても文句もいえず…ということになります。

そこまで計画的ではなくても,意図的に不払いを行う出版社はけっこう存在していましたし(など),たぶんいまもあるのでしょう。

さて,もし,著者が出版社と出版契約書を交わし,その中に著者からの希望で,

事情により著作権使用料(印税)が払えないときは事前に連絡し支払期限の延長を協議するものとする。 事前に連絡なく債務不履行になった場合,著者は直ちに無催告で当該出版物の版権を引き上げることができる。


という,賃貸契約などで誰もが見慣れたごく普通の条項が記載されていたならどうなるでしょう。編集者は何度も何度も支払いの確認をして,著者への支払いが完了したことを確認するでしょう。もし現金残高が少なくて支払えないなら,直ちに著者に連絡して誠心誠意説明して,支払期限の延長を申し出ることでしょう。

なぜなら,この条項は,著者が版権引き上げの知識を持っており,それを行使することを考えていて,もし版権を引き上げられたら,その本が今後生み出すであろう,数百万円〜数千万円の売上げが入らなくなり,編集者と出版社に不利益が降りかかることを明示しているからです。

というように,出版契約書を隠して不払いを起こす編集者というのは,立場的に弱そうなフリーランスを選び,「支払わなくても大丈夫」というシステムを構築して,平然と不払いを行い,それを放置し続けるわけです。

しかしまぁ不払いを起こすような編集者も,入社前はそのような人間ではなかったはずで,純真な心を持った若者だったのでしょう。入社した会社が編集者を腐らせたのです。なんとも残念なことですね。

きょうの画像はまともな編集者の書いたもの。この本には支払いの大切さはどこにも書いてありませんが,それでもこの人は誠実そのもので真摯に仕事に取り組んでいる様子がひしひしと伝わってきます。第3章は,「編集者は"優しさ"を持って欲しい」というタイトルで,その中から一節を引用してみれば,

編集者は,著者やライター,デザイナーに対し傲慢に接してはならない。常に「イコール・パートナー」である。
とあります。このような編集者と仕事ができた著者は幸せだろうと思います(画像/MWS)。








2017年11月21日




この本が,編集者の仕事について述べた本のなかで,支払いの大切さを直接的に表現した唯一のもの。こんなことが書いてあります。

 またフリーランスの方に対する原稿料の支払いも,非常に大事な問題です。

(中略)

フリーの方へのお支払いは,即その人の"評価"になるわけで,編集者は真摯に取り組まなければなりません。

 フリーの方にとって大切なペイメント。プロ野球選手がその球団で活躍してくれるかどうかはその球団が提示する年俸であるのと同様,フリーランスの方々のための環境作りの中でも,報酬にかかわる取り決めはもっとも重要であると,私は思います。
まともな意見ですね。まぁ,当たり前のことなのですが。週刊誌の中で『現代』は記事がしっかりしている印象があったのですが,編集長がこのようなまともな人間であればこそだったのかと,納得する思いです。

さて,しかしながら,この意見に加えなければならない重要なことがあります。それは,支払いとは何か,評価とは具体的に何か,ということです。

本一冊書いた著者への印税支払いというのは,まさに上に書かれているように,著者への評価に他なりません。きちっとした仕事をした著者に対し,期日通りに正確な額面をきちっと支払いをすることで,編集者は著者への「評価」と「感謝」を同時に示すことができます。ここをないがしろにするということは,著者をどうでもよいと思っていることとほとんど等しいと言って過言ではありません。

さてそれだけが「評価」の中身ではありません。印税というのは,それが発行印税であろうが売上げ印税であろうが,そこには,

著者を支援しようと本を買ってくださったお客様の気持ち


が含まれているのです。筆者の書いた本でも,気に入って何冊も買ったという人が全国にたくさんいます。中には,10冊,20冊,30冊と購入した方々もおられます。その方々は,この本を多くの人に広めたいという気持ちと,少しでも著者を支援したいという気持ちから,何冊も購入してくれたのです。編集者が著者に印税を払うということは,本を買ってくれたすべての方々の気持ちを著者に伝えるという大事な側面があるのです。

期日までの支払いをせず,不払いを放置し,以後ただの一度も連絡しなかったということは,筆者の仕事を正当に評価しなかったばかりか,お客様が,筆者に喜んでもらおうと書籍を購入してくださったその気持ちまでも,筆者に届かないように遮断したのです。

仕事をした人間を評価しない,お客様からの気持ちを伝えない。そんな相手に用事はありません。こちらの仕事も引き上げさせていただきます,…となるのです。

これ,厳しくもなんともありません。民間企業の通常取引で,連絡なく債務不履行になって放置したら,一発で取引停止,場合によっては帝国データバンクに調査依頼が入ります。困ったことは,一部の編集者は,著者にカネを払わなくても平気な精神構造を持っているらしいということで,それがそれほど珍しくないということです。業界の一部が腐っていることが根本にあるのですが,その悪しき伝統を引き継ぐことはありませんよね(画像/MWS)。








2017年11月20日




きのう紹介した七つの能力,

1、企画力
2、交渉、説得力(対人技術、会議術)
3、システム構築力(効率的な仕事のやり方、進行の設計)
4、編集力(編集技術やセンス、敏速で的確な判断、決定、共同作業での統率力)
5、販売、宣伝力(セールスポイント、話題作り、仕掛け、書評依頼)
6、事務力(確実な書類づくり、印税、原稿料・謝礼の支払い)
7、持続、展開力(協調と発展)

を眺めると,確かにこの七つがあれば理想だけれども,重みにはだいぶ差があるように見えます。どういうことかというと,企画力がない編集者でも,たまたま考えた凡庸なアイデアが企画会議に通り,出会った著者が逸材で本が売れてしまうということは,まったく珍しくないでしょう。同様に,交渉や説得力がない編集者でも,人の良くできた著者がつきあってくれて良い物ができあがる,これまた珍しくもないでしょう。

システム構築力がない編集者はどこにでもいて,細切れで仕事を投げてきて著者や写真家やイラストレータをイライラさせるなどというのもよく聞く話です。編集力がないのに,デザイナーさんが優秀で,著者も優秀で,編集者の出る幕が少ないのによいものができてしまった,そんな書籍も存在するでしょう。販売や宣伝力がないのに,著者が有名人で根回しがうまく,最初から好調に売れる本もあるでしょう。

では事務力がなく,印税,原稿料,謝礼の支払いをできないような編集者はどうでしょう。そういう人も中にはいるでしょうが,不払いを起こした段階で大事件(正当な対価を払わず著作物から利益を得た)に相当することになります。事務力がない編集者は,著者に害毒を与える存在になってしまうわけで,そうならないためには,事務力こそが編集者を編集者たらしめる最も重要な能力ということになります。

持続,展開力がない編集者がいたとしても,これは,それっきりで著者との関係が終わるだけで,出版社にとっては能なし社員ということになりますが,著者や読者に直接的な害を与えることにはなりにくいですね。

ということで,上記の1から7まで全部重要なのですが,その中でも,6だけは欠けたらアウトなのです。ところが,この基本的なことをわかっていない編集者が世の中に存在するのは,業界の外側からみると驚くべきことです。中小企業で,取引先から支払い遅延を喰らわされたら一発で信用が崩壊します。しかし中小出版社の不払い騒動は時折,耳にします。モラルのない人間が多いことを示しているわけですが,なぜそうなるのが謎でした。

いまでも謎がとけているわけではないのですが,「編集者の仕事」という分野の書籍を何十冊か眺めてみたところ,原稿料,印税の支払いが重要であることを書いた本がほとんど存在しないということを知りました。多くの本は,本作りに関することばかりをつらつらと述べていて,著者に原稿依頼をするときの作法なども書いてあるのに,きちんと原稿を収めた著者と出版契約書を交わし,正当な対価を期日通りに支払うことがいちばん大切な仕事の作法で,礼儀でもあるということがどこにも書いてありません。

つまり,人に経費や賃金を与えずに働かせて著作物を納品させる方法ばかりが書いてあり,その納品物の利用料の支払い方法とその大切さには言及しないのです。

こりゃあダメだと思いました。「編集者の仕事」という本を書く編集者が,すでに大切なことをわかっていません。人を育てる能力に疑問がありますね。

きょうの画像は,そんな中で,まともな編集者と筆者が判断する方々のもの。この中でも,印税や原稿料などの著作権使用料の支払いについて,少しでも触れているのはたった三冊です。支払いがいかに重要か書いてあるのは一冊だけです(画像/MWS)。








2017年11月19日




この本には,編集者の基本が書かれています。36年間の編集者経験をもつ関山一郎氏によると,編集者の仕事というのは次のようなものだそうです。

書籍編集者の仕事とは,実際にはどのようなものでしょうか。私は,「書籍編集者の仕事とは,書籍の企画立案から刊行にいたるまでの,著者やデザイナー,印刷会社などの関係先との共同作業を,編集者自身の判断と責任のもとに進行していくこと」だと考えます。そしてそれを遂行するためには,

1、企画力
2、交渉、説得力(対人技術、会議術)
3、システム構築力(効率的な仕事のやり方、進行の設計)
4、編集力(編集技術やセンス、敏速で的確な判断、決定、共同作業での統率力)
5、販売、宣伝力(セールスポイント、話題作り、仕掛け、書評依頼)
6、事務力(確実な書類づくり、印税、原稿料・謝礼の支払い)
7、持続、展開力(協調と発展)

以上の七つの能力が必要だと考えています。

ここで関山氏が述べていることを世の中一般の言葉で言い換えれば,

「仕事とは,自分で発案した事案を自ら監督して関係先との協調作業を進め,作業の終了,関係先への支払い完了から次の仕事の展開まで,全てを見届けること」

となるでしょう。難しいことを言っているわけではありません。どこの会社でも,とくに意識することもなくふつうに行われていることです。もし途中で放り出したなら,長い歴史で積み上げてきた取引上の信用や担当者どうしの信頼関係が一気に崩壊し,それまでの関係を維持できなくなるからです。

この本も,いろいろな編集者の経験が読めるので著者の立場からも参考になりますし,読み物としても面白いです(画像/MWS)。








2017年11月18日




どれどれ,危機管理術を拝見させていただきましょう。編集者が著者へ報酬の不払いを行ったとき,どんな言い訳が効果的なのか,支払いができないときにはどのように申し入れをするのか,著者が怒り狂ったときにはどうやって対応すればいいのか…。で,読んでみると,そんなことはどこにも書いてありません。それもそのはずで,著者に対して,著作権使用料を払うのは出版社としては自明のことで,説明する必要がない,ということだからです。八百屋の店先に「客は代金を払え」と,わざわざ書かないようなものです(笑)。

では著作権法の基本について,どんなことが書いてあるか,引用してみましょう。

出版界で仕事を続ける編集者には,著作権の観点から2つの立場がある。ひとつは,著作物などの素材を編集し出版物を生み出し,出版社としての利益を確保する,著作物の利用者の側面だ。もうひとつは,著作者その他の作品などをあずかって,出版して収益を生み出し,その利益を出版物に関わった人々に配分して関係者の権利を守るという,著作権者の代理人のような側面である。


…というように,この本は出版実務に永年携わった方の著作であるだけに,いろいろと参考になることが書かれています。トラブルの実例が豊富なので,これから本を書く予定のある人は,この本を読むとトラブル防止に役立つことと思います(画像/MWS)。








2017年11月17日






16日は書籍絶版を祝う一周年記念でした。契約一つも満足に行えず自社に不利な情報は隠して取引をする会社で,筆者の著書から販売利益を得るには不適格と判断したので切りました。売れ行きも好調で各方面から高い評価を頂いており,将来的にも多額の売上げを見込める優れた書籍でしたが葬るしか方法がありませんでした。

この出版社は,自分から筆者に執筆依頼をしてきたにもかかわらず,最初から対価の話をせず,下請法にも触れず,作業時期は勝手に変更し,期限付きの特急サービスを要求し,書籍ができても感謝の念が感じられず,見本持参時に出版契約書の存在に触れず(作らず),無償の営業活動を要求し,こちらの問いかけには返事をせず,支払時期を無断で破り,その後も一度も連絡せず,支払期限から半年以上,書籍の出版から約一年間のあいだ不払いを続けたのです。

オファーを頂いたことに感謝して,編集者の意向に完璧に応えるように誠心誠意働き,ただの一度も〆切を破ることなく素材を納品し,最高の仕事をした結果がこの有様です。

これだけ雑な対応をされたら,大切な自分の仕事を出版社に利用されることを許す理由がありません。印税に固執して自分を安売りする必要はありません。

この本を印刷してくれた印刷所に対しては当然,部数と予算,支払時期を決めた上で契約書を交わして印刷してもらい支払いを行っているでしょう。出版社の社員も毎月給料をもらっているでしょう。その一方で,この本を書いた著者には対価の話をせず,契約条件も契約書も自発的に明示することなく,支払期限も無視して不払い,連絡もなく沈黙。この出版社にとって印刷所などの法人さんは契約を履行すべき取引先で,フリーランスは放置で構わない搾取先というわけですね。

きょうの画像は記念すべき絶版手続きの記録。契約解除の書類を書き上げ,それに普通為替で14万6千円を同封して,出版社に送付しています。130冊の本を出版社から購入していたわけですが,その代金は印税から差引になっていました(*1)。印税を一度も支払う意思を見せなかった出版社に著者購入分の書籍代金を添えて版権を引き上げたのです。こういうの,盗人に追い銭,というのでしょうか。ちょっとやさしすぎましたかねぇ。

ということで,筆者は印税をもらっていないどころか,出版社に貢いで版権を引き上げたのでした。カネを払いたくなかった出版社は,カネが送られてきてさぞかし喜んだことでしょう。さっさと換金して祝杯でもあげたのか懐に入れたのかは知りませんが…(画像/MWS)。



*1 その差し引き分を債務部分履行と解釈して裁判に持ち込まれる懸念がありました。何しろ相手は労働者の権利保護などを専門分野とする正義の味方出版社ですからね。

*2 購入した書籍代の請求がなかったということは,印税からの差引として経理上記録されていたことになります。そのような伝票も手元にあります。ちゃんと著者のコード番号がついています。ということは,出版社の経理システムには,未払い印税額が明示されていたことになります。つまり印税不払いは,意図的にやっていたということになります。






2017年11月16日








ちょっと前の話ですが八王子西部にあるオウチでなんとHOZANのP-88が発掘されたのです(画像一枚目)。じつに25年振りの再開という感じでした。どんなに時が経過しても見た瞬間に「オレのだ」とわかりました。小学校6年か中学校に入った頃に,なけなしの小遣いを叩いて,いまはなき「ムラウチ電気」で買ったものです。いまなら100円ショップのピンセットでも,これと同等のものがあるような気がします。これのどこに当時は感動したのかよくわかりません。入手から35年以上を経過して全体は傷だらけ,先端はムチャな研ぎで先も合っていませんが,あらゆるものをつまんできたこのピンセットは,筆者にとって大事な道具です。生き返らせましょう。

ということで,大規模改造したのが画像2枚目,3枚目。あらゆる部分に手を入れて,FONTAXのテイストに近づけています。テンションも同じにして,先端の合わせ角も似た雰囲気にして,お尻の部分も魔改造。角を落として転がりやすくするのは必須。そして何より,ヘアライン処理をしたことで,この道具らしいシャープな姿を取り戻しました。実際,おっこれは使える,という感じになって大満足なのです。机の上に転がしておきましょう(画像/MWS)。



*1 たぶんこのピンセットが,筆者がはじめて研いだものだと思います。研ぐというよりは,何かにぶっさして先を曲げてしまい,それを直すためにペンチで戻して先端を合わせて研いだという感じだったと思います。ずいぶんひどい道具の使い方をしていたものですが,そういった粗雑な体験が,FONTAX TaxalのNo.3を大事に大事に使うように変質していくのですから経験というものは大事です。




2017年11月15日








きのう紹介した薄物の合砥は,こんな具合に鉄華が散ります。いずれも目が細かく食いつきも強いですがサリサリとした研ぎ心地がすばらしく,研いでいて「これはよいものだ」との確信が生まれます。鉄華がパッパッと散り,砥泥に粘りがないので鉋も貼り付きません。画像一番下の中山を基準にして比較してみましたが,目の細かさ,研磨力,鏡面度合いも遜色ないものでした。鉄華はひじょうに細かく秒速で酸化しますが刃物には移りません。研磨力があるがすぐに刃物をサビさせる砥石があるのですが,そういったものとは異なります。

ということで,薄物のコッパというのは結構よいものがあったりするのです…というお話しでした。処分品で一枚千円でしたが,もとの価格が幾らだったのかは知りません。。三千円くらいでも不思議ではない気がします(画像/MWS)。



*1 昨晩は光学実験に集中していてFTPを忘れてしまいました。すみません。夕方に気づいたので連投でアップします。。




2017年11月14日




硬い天然砥石(合砥)のコッパが欲しいと思ったら,薄っぺらいものを買うのがよいかもしれません。まったく個人的な見解ではありますが,そんな気がします。カチカチの合砥は当たりはずれも結構あるもので,刃物も選びますし,買ってみて何だこれ?,ただの石ころじゃないの?と思うものから,どこから見ても素晴らしい,しっとりと食いついて少しの粘りも感じずに鉄華が散っていくようなものまでいろいろです。

で,厚物は,厚みがあるということだけで評価される傾向がありますので,じっさい使ってみると「あれれ」というものも出回っていたりするのです。その一方で,薄くて,使い物になるのコレ?というようなものが,まともな販売店の店先にあった場合は,相当に良い物で捨てるのはもったいないので並べている,という感じなのです。きょうの画像はそういった薄物コッパで連れ帰ったもの3枚。左は中山コッパ,あとの二枚は不明。いずれも「カキンカキン系」の硬い石です。面だしはいい加減なものもありましたが,中山以外は処分品の棚にあって,ほとんとラーメン一杯に近い価格でしたので,衝動的に連れ帰ったものです。

ところで,なんで薄物が三枚も必要なのかと思った人もおられるでしょう。これ,3つあると便利なのです。カチンカチンの合砥は高度に管理された平面を維持しなければなりませんが,それには似通った硬さの砥石を3つ用意して三面法で平面を維持するのがらくなのです。砥石の両面で面出ししておけば,砥石は2個でも足りますし,ほかの種類の合砥や中砥を使っても一応の面は出ます。しかしカチカチ山の砥石の場合,表面の傷も可能な限り細かい必要があって,例えば青砥クラスの傷が残っていてはまずいのです。

大きく狂ったものや,新たに購入したものの場合はだいたい,次の手順で面だししています。まずコンクリートブロックにGC#180を擦りつけて砥粒を出します。これで砥石を荒削りしておおまかな平面を出します。大きく湾曲したものなどはけっこう時間がかかってしまうので,GC#180を次々と補給しながら,水で流しながら削ります。全面が削れたら力を抜いてさらさらと削り第一段階を終えます。

次に使うのは大村砥です。すでに生産終了ですが,当室では巨大なものを含めて複数の在庫を確保しています。大村砥は両面を面つけしたものを使います。この大村砥の両面を使って,三面法で合砥の平面を出します。これでかなり精度の高い平面に近づきます。大村砥での研磨が終わったら,今度は大村砥をシャプトンオレンジで三面法を行います。これで大村砥の面が修正されます。ここで大村砥の出番は終了。

つぎにシャプトンオレンジと合砥で面だしをします。このときは2面法です。これで両者の面が合ったら,同じような合砥をほかに2個用意して,合計3個の砥石で三面法を行います。このとき多少のずれがあると時間がかかるので,ずれを見つければ青砥ややや洗い砥粒をつけて研磨速度を速めます。最後はどの砥石の組み合わせでも,水膜の上を滑走するようになりますので,そこで終了です。高度に平面が出ていれば,砥石を乾かして,合砥どうしを合わせてみてもパフパフ音がします。空気が挟まるので,カチャカチャ音がしないのです。

平面だしは慣れないと延々と大変な作業かもしれません。しかし効率的な石の組み合わせと作業方法を見つければ大した時間はかかりません。そして一度正確に平面を出してしまえば,日々の作業における修正時間は少なくてすみます。ので,手持ちのものは高度によい状態を保つことが,効率を高める上でも大事なように思います(画像/MWS)。








2017年11月13日




ここのところ微分干渉法の画像ばかりを掲載してしまい,微分干渉法こそが最高との誤った認識を与えてしまうことをおそれています。もし珪藻の微細構造について解像限界を可能な限り追求するのであれば,通常の微分干渉法は制約が多く,あまり役にたちません。本ページでは何度も述べていますが,微分干渉は不要で,透過明視野の配置で斜入射の光束をいかにコントロールするかが基本になります。そのことを示したのがきょうの画像で,モノクロカメラを用いて450nm付近の単色光照明で,液浸で高NAの照明によりギョロメケイソウの目玉の中を高いコントラストで解像しています。使用している対物レンズは昨日掲載したものと同じです。微分干渉法を使わず,単色光による斜め照明がどれほど有効かを,あまりにも明白に示しています(画像/MWS)。








2017年11月12日




先日,世界最高と称した画像を掲載したわけですけど,これは別に自画自賛しているわけではなく,科学的な,客観的な事実であるから「世界最高」という言葉を使ったのです。そのことを示しているのがきょうの画像ですが,このギョロメケイソウのギョロメの中を微分干渉法でNA=1.4の対物レンズで白色光で解像できれば,それは究極に近いことを意味し,世界最高水準の画像であることが間違いないのです。しかもコンデンサはNA=1.35なので,条件がかなり悪いにも関わらずギョロメの目玉の中にある放射模様が見えています。こうした根拠を得た上で技術のレベルを述べているわけですので,自慢と解釈されても困ります。事実を見て欲しいのです(画像/MWS)。








2017年11月11日






これは海産珪藻で干潟の泥の上などにいるもの。むかしSurirella gemmaと呼ばれていたもので,いまはPetrodictyon gemmaという名前に変わっています(が,まだまだ旧名で通用します)。古くから対物レンズのテスト用に使われてきた種でもあります。テストには穴ぼこの列が解像できたかどうかで調べるのですが,トップクラスの技量を持っていれば,穴ぼこが丸なのか四角なのかを判定することもできます。その一例がきょうの画像で,まだまだ分解能の低いお遊びの絵ですが,穴ぼこが四角っぽいであろうことは明白です。それなりの検鏡レベルであることは間違いありません(画像/MWS)。








2017年11月10日




これは海産珪藻コスキノディスクスの一種。被殻の中央部分を外側からみた風景です。ひじょうに細かい胞紋が殻の外側を覆うようについています。この構造は大変細かく,また種によっては光学顕微鏡ではほとんど見えません。種を選べば検鏡の練習用としてもよい物体だと思います。以前も書きましたが,筆者はこの珪藻がたくさん封じられた標本を大学院生の頃に作り,それを10年以上眺め続けた経験があります。当時は顕微鏡について誰も教えてくれる人が存在せず,全て独学で,撮影装置も自作でした。光学を独学で学びはじめ,細かい構造が見えてくるまでだいぶ時間がかかったように思います。しかし自分の力で切り開いて技術を身につけてきたので,効率は悪いけれども,不揮発性の知識が身に付いたようにも思え,悪くはなかったと思っています(画像/MWS)。








2017年11月9日




この画像の珪藻はフリッケアといいまして,学名はFrickea lewisianaです。見つけるのが難しくて認知度の低い珪藻です。研究者でもこの珪藻を見たことのない人がおおいと思います。干潟の泥の上にいるらしいのですが,筆者の経験では東京湾と有明海の泥の上から少数見つけただけです。海外の干潟の泥からも見つかっています。個体群が維持されているので,どこかにまとまって存在しているはずですが,国内ではどこにいるのかもよくわからない状態です。google先生に聞いてみても,10年くらい前には一件もヒットしませんでした。最近は少しだけ,研究機関による情報は引っかかります。

きょうの画像に写っているのは東京湾岸の干潟から採集したものです。多少の汚れが被殻の裏側に残っていますが,かなりきれいにマウントできています。この珪藻の精巧な姿を微分干渉法で表現してみました。世界的にも希少な珪藻を,世界最高の標本製作技術と,世界最高の顕微鏡写真技術により表現してみたわけです。大きな画像は,

Frickea lewisianaの微分干渉像(9MB) −ミクロワールドサービス

こちらに掲示しましたので,ぜひごらんください。各部を高度にチューニングしたオプチフォトDICを使い,Nikon1J5で撮影したまま(JPEG)です。コントラスト強調処理などの画像処理は一切していません。ノイズリダクションのみを行っています(10枚平均)。当サービスの技術力が,画像処理などで歪曲されることなく,そのまま表現されています(画像/MWS)。



*1 背景の明るさにムラがあるのは微分干渉法での干渉縞の位置を中央からずらしているためです。この位置をどこに決定するかも重要なテクニックです。背景を均一な明るさにするためには,背景そのものをピントをずらして撮影して画像減算します。今回は,撮ったままの状態をご覧頂くために背景減算はしていません。

*2 残念なことは,顕微鏡が世界一ではないことです…。何しろ,三十数年前のオプチフォトです。筆者が中学か高校に通っていたころのものです。あちこち不具合が出てきているのをなだめながら手入れして使っているのです。。顕微鏡とカメラが最新のハイエンド機ならば,もっと良好な画像を得ることができるのですが…。





2017年11月8日




顕微鏡の解像限界を少しでもあげよう,そう思ったら珪藻標本を持っていないと仕事になりません。光学上問題のない珪藻標本を使って,常に同じ珪藻の同じ部分を覗いて像品質を評価しないと,いったい何をやっているか不明になってしまうからです。筆者はもちろん自作の標本を使っていますが,現在使っているものは2011年1月製作のもので,既に6年半ほど使い続けています。現在の技術からみれば改善点も見える標本ですが,光学的には問題がないので便利に使っています。液浸系で何かを評価するときには必ず覗く珪藻が複数あって,きょうの画像もその一つ。大型のクチビルケイソウCymbella janischiiですが,この珪藻の中心部分の入り組んだ構造や,被殻表面開口部のS字構造などを分解能と焦点深度の判定(参考)に使っています。大切なことは,同じ珪藻を,同じ被殻を繰り返し繰り返し覗くことです。何千回も何年間も覗けば,観察像を見ただけで顕微鏡の状態が推測できるようになってきます(画像/MWS)。








2017年11月7日




先日(2日),微分干渉顕微鏡の納品立ち会いという仕事があり,一日中,ノマルスキーのシステムをいじっていました。とても良いシステム構成で,乾燥系の低倍から油浸の高NAまでパーフェクトな性能が出るものでした。当サービスの誇る検査板で各種の動作確認を行いましたが,像品質は非常に良好で,テストに用いたカメラの性能も素晴らしく,とても良い経験になりました。

こういう仕事があると何かのスイッチが入るというのが常で,今回は手持ちのDICシステムを解像限界の向上と撮影システムとの最適化というスイッチが「ON」になってしまいました。だいぶ前からの課題でしたが,最近の仕事でDICを使うことが多く,チューニングの方向性は見えていました。それでパーツの組み合わせや照明のチューニングを行ってみたところ,ワンランク上の像になり解像限界も向上したのでした。

きょうの画像は作業途中に撮影した一枚。当サービスのDICはオプチフォト初期型の古いもので,コンデンサNA=1.35です。対物はNA=1.4を使っていますが,最新のシステムからみれば機器構成としてはだいぶ見劣りします。けれども,最高の像を求めて追求すればこの程度の像は達成できます。まだまだやることがありますが,可視光領域のカラー画像としては,究極のレベルに近いものになっているといえます。あとは10年振りの分解清掃を行えば,しばらくは気分良く使えそうです(画像/MWS)。








2017年11月6日






顕微鏡対物レンズによる像形成では,使用する光学系のストレールレシオ等の問題を別にすれば,理論上は解像限界を計算できます。もし顕微鏡対物レンズの性能を出し切った像をみてみたい,撮像してみたいのなら,解像限界を計算して,その寸法(構造)を持っている物体を繰り返しイメージングして,見えていないものが見えるようになるまで追求するのも一つの方法かと思います。その一例を示してみたのがきょうの画像。

対物/コンデンサNAは1.20です。照明波長を550nmとすれば解像限界は229nmとなります。ところで,この物体のニッチア(たぶんリネアリス)は,条線に存在する点紋列の間隔が250nmです。もし顕微鏡の性能を限界まで発揮したなら,0.5λ/NAが229nmなのですから,必ず点紋に分解できるはずです。そこでやってみましょう…と挑戦してさくっと撮影したのがきょうの画像です。ちゃんと理論通りになるのです。 このように,顕微鏡対物レンズによる限界付近のイメージングでは,常に照明波長とNAを意識して,電卓叩いて解像限界を算出し,いかにしてそれに近づくかという工夫が重要になります。機器の基本的なセットアップができていれば,あとは照明法やコントラスト法の運用訓練と,撮像,画像処理の練習になります。このような訓練を生のサンプルで行うと再現性に乏しいので,適切なサイズと構造が存在している永久プレパラートで,かつ,光学的に正しく設計されているものを使うことが「必須」かと思います(画像/MWS)。








2017年11月5日




顕微鏡による像は構造のサイズによってコントラストが異なるという特性があり,細かい構造ほどコントラストが低下します。このため,解像限界付近の微細構造を肉眼コントラストまで引き上げるための画像処理は必須となります。コントラスト強調処理やヒストグラムの調整,ガンマ補正など各種の画像処理を行います。本ページに掲載している顕微鏡画像も特に断ってはいませんが,ほとんどのもので画像処理を行っています。

画像処理にはいろいろな考え方があるので,これが正解というようなものではないのですが,守った方がよいだろうということを意識しつつ処理を行うことが大切だと思っています。本ページでも特に気をつけていることは,色調と色の濃さ(彩度)について,もとの物体のイメージを破壊しないように画像処理をするということです。珪藻などは単にコントラスト強調処理を行うと鮮明な橙赤色になってしまったりします。もし何も知らない人がその絵をみれば,「珪藻ってこんなに赤くてきれいなんだ」と思いこんでしまうでしょう。実際に,ある国で発行された図鑑にのっていたコントラスト強調処理の珪藻画像(生きているもの)を見た藻類学の先生から,「この珪藻ってこんなに赤いの?それなら学生に見せるのにいいんだけど」と聞かれたことがあります。専門家ですら信じそうになってしまうのです。

デジタル撮影自体が画像処理でもあるので,顕微鏡画像で「本物と同じ」絵は厳密には存在せず,何らかの処理が施された画像になってしまうのは仕方のないことです。でも,見た目の感じから違う方向のイメージを与えてしまうような絵は作るべきではないし,そういった絵を「本物」として図鑑にのせてしまうことも,あまり歓迎できません。本ページの画像は,例えば珪藻の色素の色がおとなしい感じのものが多いかと思いますが,これはなるべく本物から得られるイメージを崩さないように調整しているからなのです(画像/MWS)。








2017年11月4日




これはニッチア(淡水産)の細胞内部。DIC使用で核付近にピントをあわせています。こういったイメージングでは何が大変なのかというと,よい細胞を探すことです。薄くマウントされた18mm×18mmの空間に存在する珪藻から,写りがよさそうな細胞を探し出すのは結構たいへんなのです。よい細胞がみつかっても,動いてしまったり,前後に物体が重なっていれば像のコントラスト低下しますし,適切な方向から迅速にシャーを与えることも像品質に影響します。きょうの画像のような何気ない一枚の絵にもいろんな経験の蓄積が反映されているのです(画像/MWS)。








2017年11月3日




2日は来客対応で顕微鏡の午後となりました。映像関係のお仕事をされている方々でしたので,標本を見てもらうのはもちろんのこと,機材を見せてもらうのも面白く,過ぎゆく時間が早かったのでした。事前準備がとても時間を要し,後かたづけも半端ではないのですが,ふつうでない仕事をしているので仕方がありません。軽く二週間くらいはつぶれてしまったような気もします…。与えられたからには全力で仕事をするのが筆者流でもあるのですけれども,伝えることと伝わることは別です。うまく伝わっているといいなぁと思うのです(画像/MWS)。








2017年11月2日




ことしも暮れつつありますが,ここ2,3年と同じ傾向で,仕事はしているのに本業ができていないという状況になっています。これはひじょうにストレスとなるのでよくないのですが,どういうわけか,研究所に勤めていた頃よりも学会講演が多くなったり,急な依頼の仕事が入ったり,便利屋さんみたいに扱われたりと,時間が失われていきます。ペースがおかしくなったのは2015年で,この年は書籍執筆で時間がなくなったので標本はほとんどできませんでした。2016年は出張もけっこうあったですが,バルバドス放散虫に全力を投入して少しは本業にも集中できました。

ことしは,最初はツリーや宝石デザインを科学館等に納品からはじまって,懸案だった封入法開発の案件もケリをつけてと順調だったのですが,夏前くらいから慢性的に細切れの依頼作業が続き本業が手に着かなくなりました。秋に入れば学会講演や訪問対応などで時間を費やしました。加えて割り込みの仕事や学会関係の仕事依頼,もう11月。正直言ってきつい…。

画像はバルバドス放散虫の小型種用の原料。こういったものをえんえんと突っついて拾い出しを行う仕事は,仕事でありつつも,ストレスも緩和される大事な時間なのです。年末にむけて面倒な仕事が舞い込まないようにと願うばかりですが,そうすると,まるで嫌がらせのように断れない仕事が隕石のようにぶつかってくる,というのが筆者の運気のなさでもあるのです(^^; はて,どうなることやら(画像/MWS)。








2017年11月1日








これはピントを変えてみた淡水産の付着珪藻で生きているものです。分類は難しいので調べていませんが羽状珪藻であることは間違いありません。この珪藻,スライドグラス側にくっついています。数十μmくらいの水の底に沈んでいて,油浸対物レンズだと巨大な球面収差が発生してほとんど像を生成しません。水浸対物レンズであれば,指定の厚さのガラスを使えば,100μmの水を通してもまともな像ができます。画像一枚目はこの珪藻の被殻表面にピントをあわせたもの。画像二枚目は,細胞内部の核にピントをあわせたもの。画像三枚目はスライドグラス側の被殻にピントをあわせたものです。いずれも微分干渉による像です。生きている珪藻でも,適切な検鏡法を選べば,殻の微細構造はもちろん,細胞内部の情報も得られることがわかります(画像/MWS)。









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