【2016年】 1月 2月 3月 4月 【2015年】 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 【2014年】 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 【2013年】 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 【2012年】 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 【2011年】 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 【2010年】 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 【2009年】 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 【2008年】 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 【2007年】 9月 10月 11月 12月 【今月にもどる】
お知らせ 写真集『珪藻美術館』 好評です。ご案内は こちら 2016年4月30日 きょうの画像は珪藻の小ささを示してみたもの。最近製作した特注品を撮影したものです。大型珪藻を一切使わずに,やや小型のものを中心に122個の珪藻の殻を並べて円形に配置していますが,この円の直径は0.57mmです。1mmもないのです。画像二枚目はスケール(0.01mm目盛り)と重ねてみたものでサイズがよくわかります。0.1ミリメートルをはるかに下回る,高倍率で見ても小さくしか見えない珪藻がたくさん並んでいます(画像/MWS)。 2016年4月29日 小さな小さな珪藻に比べると放散虫は巨大なものが多いです。きのうの,やや小型の珪藻と比較すれば大きな放散虫は化け物で,珪藻が成人1人の大きさだとすれば,放散虫は大邸宅一件分です。珪藻並べが精密機械工作だとすると,放散虫並べは土木工事のようなスケールです。問題なのは脳が慣れる現象があることで,放散虫を数ヶ月もいじっていると,小型珪藻を扱うのが下手になった気がします。逆に小型珪藻ばかり扱っていると,放散虫は大きくてらくな感じがします。バランスをとらないとリハビリに時間がかかることになります。まぁ,それも面白い時間ですが。画像は今週作った特注品。大きくて立派なものを中心に大量にならべたものです(画像/MWS)。 2016年4月28日 この二つの小型珪藻も最近マウントしたものです。画像1枚目の珪藻は長さ0.013mm,幅0.0074mmです。二枚目の珪藻は長さ約0.018mm,幅0.0046mmのもの。どんな珪藻なのかは,作業中にはわからないので,カンで扱います。被殻の硬さとか,丸っこさとか,特定方向の反射などを見分ければ,微細構造が見えなくてもある程度の情報は得られますので,カンは当てずっぽうというほどひどいものではなく,けっこういい線いっている感じのときもあります。しかし本当の姿は封入後に油浸検鏡しなければわからないので,カンといえばカンですね。小型の珪藻を拾うときに問題になるのは凝集と密着でしょうか。あまりにも小さくて,団子になってしまったらほぐすことは非常に困難になります。また,ガラス板に密着してしまえば,それを剥がそうとするだけで破損します。ものが小さくなってくると,住み慣れた重力の世界とは異なる原理が働いていて,あちこちにこっくいてしまい,ハンドリングの手さばきにも工夫が求められます。 ところで,上の二枚の画像は少しぼけているように見えます。これは,無効拡大(それ以上拡大しても細かいところが見えてくるわけではないのに拡大すること)の影響もありますし,もう一つは,光波の回折限界付近の画像だからということもあります。写っている最小構造は光の波長の1/2程度のもので,物体の像を作るには,ゼロ次と1次の回折光しか使えません。つまり最低限の情報で物体像ができているわけです。こういう結像で位相物体を写しているわけですから,微細構造部分については,コントラストが低く,エッジが判然としません。 無効拡大にならない程度に縮小して,シャープフィルタをかけたものが三枚目の画像。これで多少は引き締まった感じの絵になります。顕微鏡写真をシャープに見せるには,最適な拡大率を設定することが重要です。その一方で,情報をもれなく素子上に載せるには拡大率が大きいほど取りこぼしがなくなります。また,拡大率が大きければ素子の熱ノイズなどの影響も小さくできます。こういったことを総合的に考えて撮影倍率を決めて,画像処理を行い,適切に表現できる画像を作っていくのです(画像/MWS)。 2016年4月27日 街中では桐は珍しいらしい。そういわれてみると確かに思い当たる桐の木はあんまりない。さんぽの巡回コースに少しあるのが手近なところで,ほかはもっと遠い。この画像の桐の木は小学校に植わっているもので,なんでこんなものが植わっているかというと,校章が桐だから(だと思う)。その小学校は,大学教員になるのは普通で,大企業の社長や,議員さんや,総理大臣も数人いるくらいの,超エリート学校。門から元気に出てくる小学生たちは,一人残らず頭脳明晰で将来が約束されている若者です。道を踏み外した人生を送る筆者は,このエリート学校の外周道路を,こそこそとさんぽさせてもらうのです(画像/MWS)。 2016年4月26日 ウチから徒歩圏内の庭園(六義園)はこんな感じ。都区内はもう,ツツジは終わりにさしかかっている感じです。むかしはツツジ満開は連休の頃と記憶しているのですが,その頃は八王子に住んでいたので少しずれているのかもしれません。新緑から濃い緑に変わるまでの短い期間,ほんとうに目に優しくいつまでもみていたい気がします。個人的には三枚目の絵が好み。山歩きしていてヤマツツジに出くわしたような雰囲気を感じて,八王子の野山を散策していた昔を思い出すのです(画像/MWS)。 2016年4月25日 季節は夏にむかってまっしぐらという感じで進んでいます。冬の間は民家の庭先で米粒をつまんでいた鳥たちも森の中に入り,一心不乱に昆虫探しです。子育てのシーズンは栄養に富む,体をつくるタンパク質が重要なのはいうまでもありませんが,鳥さんは学校に行ったこともないのに(一説によると雀の学校というのがあるらしいが),4月に入ると一斉に虫探しに勤しみます。人間は好きこのんで炭水化物ばかり食べて体調を崩しても病院が面倒みてくれますが,鳥がそんな子育てをしたら生育不良で生き残れないでしょう。こうしてみると,人間はホント,好きなものが自由に喰えて恵まれていると思う一方で,自分の食べるべきものの知識もないのかと思わずにはいられません。画像は日曜日の午後にみかけたスズメ。数十枚撮影しましたがまともなものはこの2枚だけ。顕微鏡写真でいえば泳いでいる鞭毛藻や繊毛虫を写すのと同じような歩留まりの悪さです(画像/MWS)。 2016年4月24日 きのうの画像と同じ倍率で撮影したクチビルケイソウの中央部。OTK-01に入っているCymbella janischiiという比較的大型の珪藻です。全体の1/10も写っていない感じで,きのうの珪藻を横に並べると,ヒトとネズミくらい違うような感じもします…。大きな珪藻は小さなものよりは格段に扱いやすいですが,並べるときはけっこう難しく弱い部分を押すと破損しますので,押していい部分だけ,引っ張ってい良い部分だけを触ります。しかし目に見えないひび割れが入っていることもあるので,正しく操作していてもパリンと割れてしまうこともあります。また,このくらい大きな珪藻になると,内側に超小型の珪藻が貼り付いていることがあり,それが死角にあると気づかないままに並べてしまったりすることもあります。気が抜けないのです(画像/MWS)。 2016年4月23日 この珪藻は小さいものを並べて欲しいというリクエストに応じて最近並べたもので,長さは0.012mm,幅は0.004mmです。通常は扱わないサイズで,歴史的に見ても,このサイズのものを並べているものは見かけないような気がします。この一個を拾うのも大変ですし並べるのも封じるのも大変です。NA=0.2でフリーハンドで拾っているといえば,顕微鏡が分かる方には難しさが想像できるかと思います。でも結果的に並べられたので一歩前進という感じです(画像/MWS)。 2016年4月22日 もひとつボルボックス。丸い方がそれらしい感じがします。あと,周囲にゴミが見えない方が見映えがします。Jシリーズと同じです。そういうわけでこの画像は右側で軽微なゴミ消し,ピクセル不良の修正を行っています(画像/MWS)。 2016年4月21日 先日はじめてボルボックス(Volvox carteri, NIES-398)を撮影してみたのですが難しいですね。。あらゆるパラメータを最適化しないと見映えのする絵には持ち込めない感じで,まるでこちらが試されているようです。ようやく撮影した絵を晒します。何とか写ってはいますがプロから笑われても仕方がないような気もします…(画像/MWS)。 * このボルボックスはレンズテスト用の生物試料として持ち込まれ,当室で試験を行ったものです。残念ながら都区内でボルボックスを探すのはそれほど簡単ではありません。いちばん近い水田でも数十km離れているのですから。 2016年4月20日 エコノミークラス症候群の予防にはアスピリンの少量服用が効果的です。今回の熊本方面の地震では多くの方が避難して,車の中で寝泊まりしている人も多いと報道されています。車内のような,体が部分的に圧迫され,頭が高くて足が低い位置にある姿勢は,長時間続くと足の静脈に血栓ができ,起床時や足を動かしたときにこの血栓が肺などに飛んで肺塞栓等を引き起こすことがあります。血栓の予防には水分摂取と運動が効果的と言われますが,よりしっかりと予防するためにアスピリンの少量服用という手段があることを忘れずにいてください。 服用法は簡単で,市販のアスピリンを分割して,一日辺り50〜100mgの少量を夕食後に服用するだけです。割るのが難しいなら,水に溶いてしまい,それをよくかき混ぜて50〜100mgの分量になるように服用すればOKです。だいたい,市販のアスピリン錠剤の一錠の1/4くらいを飲むことになります。 このようなアスピリンの使い方はバイアスピリン療法とも呼ばれ,国外ではふつうのことです。アスピリンは「バファリン」としても有名で誰でも飲んだことのあるような種類の,一般薬局で入手可能な薬です。これを,ふつうの用量よりもはるかに少ない量を飲むのですから,副作用も非常に小さいと考えてよく,避難が続き身動きの取れない状態で就寝するような場合は服用しておくとよいと思います。ここで書いたことは筆者の独断でなく, こちら でも推奨されている,ごく当たり前のことです。筆者も長時間の旅行や,長時間イスに座り続けなければならない仕事のときは,ときどき,アスピリン錠剤を割って服用しています。当たり前ですが自己責任です。 なお,すでにワーファリンなどを服用している方が飲んではいけません。健康で薬の服用のない方で,消炎鎮痛剤等のアレルギー歴がない人が対象です。大部分の方が該当することと思います。通院中の方などは,医師に相談してください。妊婦の方はあらゆる薬がよくないので飲まない方がよいと考えます(それ以前に,車の中で寝たりせずに周囲に助けてもらってください)。以上の情報を被災地の方も,そうでない方も,ぜひ参考にしてください。 芍薬甘草湯も常備してください。この漢方薬は,筋肉のけいれんを素早く止める働きを持っています。その効き目は,筋肉のけいれんに対するものであれば,どんな鎮痛剤よりも効果的なものです。災害時には,転倒したり,重いものを持ち上げたりして,ぎっくり腰の発生もあるかと思います。そのときに芍薬甘草湯を持っていれば,すぐに痛みを止めることができ,症状の増悪を防ぐことができます。用法は簡単で,ぎっくり腰をやってしまったと思ったら,水かお湯,なければそのまま粉末で2包飲みます。すぐに痛みがひきますが,4〜7時間後に再び痛みがでることが多いので,そのときは1包飲みます。以後おなじように,痛みが出たら飲むことを繰り返します。 使い方のコツは一回目を可能な限り早く飲むことです。ぎっくり腰は,何かをきっかけとして,筋肉が過剰な収縮を起こしてしまうことが痛みの原因です。この過剰な収縮を放置すれば,つぎつぎと周囲の組織に破壊が進み,炎症が発生し,治癒が一ヶ月コースになります。しかし,やってしまった!と思ってからすぐに芍薬甘草湯を飲めば,筋肉の収縮そのものを止めるので,破壊の進行がなく,炎症も起こらず,すぐに治癒します。いつも身につけて持ち歩く価値のある漢方です。この薬も,どこの薬局にも置いてあります。 芍薬甘草湯は尿路結石の発作にも卓効します。平滑筋の収縮に関連することだからです。すでに尿路結石と診断されて,結石の自然排出を待っている方であれば,この薬を常備していて損なことはないと思います。 生理痛・子宮筋腫の痛みにも芍薬甘草湯が奏効します。生理痛や子宮筋腫の発作も筋肉の収縮を原因とするので,ボルタレン,ロキソニン,イブプロフェンを飲んでも大した効き目がありません。これらの薬剤は痛みの原因を放置し,生じた痛みだけを消そうとするものだからです。効果が弱いだけでなく空腹時に飲めば胃を荒らし,鎮痛効果もさらに弱くなります。食事あわせて飲むと多少は効果的ですが鎮痛効果は2時間くらいしか持たず,しかし次の薬を飲むまでに時間を空けなくてはならず,苦しい時間を過ごすことになります。アスピリンに至っては,大量出血の恐れもありますので,たとえ薬の効能書きに生理痛と書いてあっても飲んではいけません。これらの鎮痛剤をすぐにやめ,生理痛には芍薬甘草湯をお試しください。1包でもききますが,体が引きちぎられるような苦しさの人は2包飲んだ方がよいでしょう。お湯で飲むのが基本ですが水でも,なければ粉のまま飲んでも効きます。必ず効きます。痛みをとめるのではなくて,痛みの原因を止めるからです。 どのくらい効くかというと,生理痛がひどくてトイレまで辿り着くことができないので生理時にはトイレの前で毛布を被って寝ているような患者さん,子宮筋腫の発作で苦しみ救急車で病院に運ばれるような患者さん,発作が週に何度も起きて来月にも子宮全摘術を控えているような患者さん,こういった重症の方々でも,芍薬甘草湯を飲めば,そのときの痛みはちゃんと収まります。但し,出血を止める効果はありません。 芍薬甘草湯は,効くときには20分からおおむね40分以内に効果をきちんと感じます。もし1〜2時間経っても効果がないのであれば,別の,筋収縮以外の疾患の恐れもありますので早急に医師の診察を受けて下さい。 芍薬甘草湯を飲むときに大切なことは,普段は一切飲まないで,痛みが出たときにだけ飲むという使い方をすることです。こういう薬の飲み方を頓服といいますが,必ず守ってください。医師の中にはこの薬の使い方に関して知識のない人が多く,生理痛にせっかく芍薬甘草湯を処方していながら,一日三回,朝昼晩に飲むように指導されたりします。このような飲み方では逆効果で,この漢方は全く効果がありません。朝昼晩,きっちり飲んでいた人が,生理痛でのたうち回り,1回の生理期間でイブプロフェンを10錠も飲むようなことになっているのを見たことがあります。その人にイブプロフェンをやめてもらい,芍薬甘草湯を毎日飲むのもやめてもらい,痛いときだけ芍薬甘草湯を頓服してもらったら必ず効くといったことが起こりました(複数名)。医師から生理痛で芍薬甘草湯を処方されている方は,医師の指示通りには飲まず,頓服で使ってみてください。 ほかの甘草製剤を服用していることがなく,芍薬甘草湯を頓服で使う限りは副作用もきわめて小さく,甘草の過剰摂取により起こる偽アルドステロン症となる心配はありません。 以上は芍薬甘草湯の使い方を10年間追求してきた筆者の体験に基づきます。これまで,ぎっくり腰,生理痛,子宮筋腫発作で苦しむ人に推奨して来ましたが,筆者の言うことを正しく聞いた人,目の前のぎっくり腰などで筆者が手持ちのものを直接飲ませた人には100%の効果が見られています。あとから飲んだ,翌日になって飲んだ,という人は,多少は効きますが手遅れです。ぎっくり腰などでは,どんなに痛くて動けなくても何とかして芍薬甘草湯を一刻もはやく飲んだ方が,比較にならないほど早く治癒します。 以上,災害時に役立つ情報として掲載します。もちろん一般の方にも役立つはずです。読者におきましてはこの情報を日をかえて最低3回読んで頭に叩き込んでください。そして更にご自身で調べ,情報を有効活用していただければと思います(画像/MWS)。 * この項,必要に応じて加筆します。 *肺塞栓と心筋梗塞と混同して記述していたのを修正。わかっているのに思い違いで記してしまいました。すみません。肺塞栓は手術などで寝ているときにも起こるので,手術経験者は医師から説明を受けたことのある人も多いと思います。 2016年4月19日 画像はリンク先 地震研究推進本部 から作成しました。この表に記載されている数値は,熊本県のハザードマップにも採用されています。この表をざっとみて分かることは,今後30年に地震が起きる確率が,ほぼゼロと発表された翌年に甚大な被害の大地震が起きたということです。つまり地震の発生確率は全く当てにならないということです。また日本には大量の活断層がありますが,活断層は現在判明しているものがそう呼ばれているわけで,関東ローム層のはるか下に潜っていてまだ発見されていない断層があったとするならば,誰もその存在を知ることができず,そこには現時点で活断層がないとみなされるということになります。そしてそこで地震が発生する確率はゼロではありません。 ここ20年を振り返ってみても,不幸なことに,要注意とされているところではなかなか地震が起きず(東海地方〜東京方面など),注目されていないところで大きな地震が起こることが続いているように思えます。地震発生確率などというものは,現時点ではまず参考にならないと思って,全ての場所が危険地域と思いながら日々生活するのが地震国の住人の過ごし方かもしれません。 もう一つ今回の震災に関する情報 こちら。数十年前に作成された不確実で根拠も不明な研究をもとに,全国の建築基準がおかしなことになっているという,驚くべき内容が記されています。今回の地震は浅い上にほぼ活断層上に存在した建築物もあったわけで,損壊を免れるのは難しかったかもしれませんが,それでも耐震性がもう少しだけあれば,家屋に押しつぶされずに済んだ例もあったかもしれず,このリンク先の記事が指摘するところは重大なことだと感じます(画像/スクリーンショットを加工)。 2016年4月18日 昨日の記事にも追記しましたが,今回の地震は,別府−島原地溝帯内での現象であり,中央構造線と関連させて話をすることはできず,中央構造線という言葉を使うのは完全な誤りとの指摘を専門家から頂きました。昨日記事を書いたときも,別府−島原地溝帯の地震であることは認識していたのですが,マクロな視点から中央構造線の近傍で起きている現象であると書きました。そういう言葉の使い方もできない,完全に別のものだということです。漠然としたイメージで語ることの誤りを指摘頂き,認識を修正できて有り難く思いました。専門家の先生には感謝申し上げます。 さてそうすると,おそらくは,別府−島原地溝帯内部で今後活断層がどのように刺激されて地震が誘発されるかを考えるのが第一なのだろうと思います。この地溝帯は名前の通り島原方面に伸びていて,専門家の先生に教えてもらった資料によれば,別府から島原に向かって低重力異常部が連続しています。この重力異常部は川内原発方面には伸びていないので,今回の地震が地溝帯内部でまとまっているものであるならば別府から東方面と,熊本から島原方面を心配するのが防災上も大事だろうということになります。 きょうの画像はHi-net自動処理震源マップのサイトで熊本県地方の7日分のデータをマッピングしたもの。まさに別府−島原地溝帯内の地震であることを表しています。川内原発方面では,まだ震源はなにもない状態であることも読み取れます。ただ,少し気になるのは,この100kmを超える群発地震の西側末端が,島原半島方面に向かわずに,やや南を向いているように見えることです。マグニチュードはそれほど大きくなくとも,これだけ長い距離でエネルギーの開放が起きたわけで,付近の活断層にかかる応力は新しいモードに入った可能性もあります。この群発地震がどのように推移するのかわかりませんが,別府−島原地溝帯付近はもちろん,それ以外の周辺地域でも予めできる対策は施しておくに越したことはないと思われます(画像/スクリーンショット)。 2016年4月17日 この記事は正しくない認識に基づいて書かれています。今回の地震で中央構造線の話と関連させるのは間違い以外のなにものでもないというご指摘を専門家より賜りました。別府−島原地溝帯内で起きている現象ととらえ,中央構造線とは切り離して考えるのが正確な認識とのことです。つまり,大局的に見て中央構造線に沿って地震が起きているという表現は不可ということです。文責を記録として残すためと,原発の取扱に関する論旨には変わりがないので本文はこのまま残しますが,正しくない認識のもとに書かれていて,読者に与えるニュアンスが歪曲されている可能性が高いと解釈してください。(4月18日追記) ---------------------- 熊本方面が大変なことになっていて心が痛みます。少しでもはやい地震活動の収束と,被災された方々の救助が進むよう願っています。 今回の地震は基本的には中央構造線に沿って群発しているので,余震・本震といった表現では現象を正しく表していないかもしれません。確かに最初のトリガー(引き金)はどれかの地震で,そして大きなエネルギーの開放の地震があって,続いて中規模のエネルギーの開放となっている,余震−本震とみられる現象も起きています。しかし震源が浅く,その震源が東に走っていっているので,それは余震ではなくて,誘発された別の地震と見られます。余震に警戒という範囲を超えていて,ニュースなどでは『大きな連続地震に注意』と言った方がよいように思えます。 エネルギーの開放状況としては大きくありませんが,活断層の地震が100kmのエリアにわたって発生しているので,熊本−大分から離れていても中央構造線上にある活断層は危険性が増加したと考えるのが素直に思えます。この状況で川内原発が運転を継続しているのは不安材料の一つです。画像1枚目の,朝日新聞社の大変優れた絵にまとめられているように伊方原発と川内原発は中央構造線に隣接しており,マクロな目で見れば危険なエリアそのものです。現状では震源は伊方原発に近づきつつありますが,南の方で活断層が動き出す可能性もあることは誰も否定できないでしょう。 東日本大震災のとき,時の総理大臣は不安材料を減らすために浜岡原発を停止させました。結果的には大地震が浜岡原発を襲うことは現時点までに起きていないわけですが判断としてはきわめて合理的なものだったと筆者は評価しています。運転中の原子炉は地震によりLOCAのような大規模事故が起これば,すぐに炉心が損傷して放射能をまき散らすのは誰でも知っていることです。運転停止して冷温状態まで持っていけば,そこでLOCAのような事故が起きたとしても,放射能をまき散らすまでに時間稼ぎができ,被曝者を減らすことができます。 今回は原子力防災担当相が運転継続と述べていますが,果たして合理的な判断といえるでしょうか。「自動停止の基準値以内の揺れ」だったから運転を続けるというのは,電力会社のマニュアルに書かれているようなことで,防災担当大臣が述べることではありません。今回の地震をどのようにとらえ,担当大臣としてどのような考えで原子力防災に望むのかということを述べなければ大臣の意味がありません。まさか,原子力防災担当相というのは,原子力災害が「起きてから」放射能汚染による「災害」を「防ぐ」という意味ではありませんよね? すでに熊本付近の交通網が寸断され,鉄道も空路も動かない状態で,鹿児島県側で原発事故が起きたらどのようなことになるのか,想像できないのでしょうか。 地震活動が収束するまで原発をとめて様子を見ることに関して技術的な問題はありません。とりあえず川内原発をとめて,九州地区の皆様の安心材料を一つ増やす,そういったことも,今回の地震被災者に対する心理的な支援になります。 ところで,NHKの報道をみていると,地震の震度情報を流すときに,川内原発が画面から微妙にはみでるようにしています。川内原発方面も揺れていることは報道してもよい情報のはずで,それを隠す情報操作は姑息な感じがします(画像/朝日新聞社,時事通信社ニュースのスクリーンショット)。 2016年4月16日 15日の午後は藻類学の大先生を迎えての顕微鏡の午後となりました。藻類学最先端の先生と,光学顕微鏡とともに暮らす筆者との出会いですから時間が足りない午後となるのは当然で,またの機会にということでお開きになるのでした。しかし,その数時間の間に交わされた情報量は,おそらく(情報量)ピットでは表すことのできない類のものかもしれないと思っています。10年以上のお付き合いになる先生なのですが,お越し頂いたのは初めてで,むかしからクールでカッコイイ先生と思っていたのですが,やっぱり,その通りなのでした(画像/MWS)。 2016年4月15日 これはかなり古いコンデンサ。夏目漱石が愛媛に赴任した頃のものです。二枚玉で構成はアッベコンデンサですが,NAの記載はありません。このコンデンサの不思議なところは,先玉の半球レンズが蛍光を発するのです。きょうの画像は365nm励起で光っているところ。むかしのガラスで蛍光性のあるものはたくさんありますが,こんなに鮮明に光るもので覚えがあるのはウランガラスくらいで,あとはどんなものがあるのでしょうか。試しに放射線を測定してみれば,ガンマ線もベータ線も発していないようです。可視光の明視野では何の問題もないので,蛍光ガラスでもふつうに検鏡できます(画像/MWS)。 2016年4月14日 19世紀後半の頃,顕微鏡対物レンズはこのような真鍮製のケースに入っていました。このケースは大変危険なものです。ずっしりとした質感,金属特有の冷たさ,ブラスの輝きによって,ケース自体が魅力を放っています。そこにカチャリと寸分の狂いもなく収まっている顕微鏡対物レンズ…。これを開け閉めしてしまうと,その加工精度の高いネジの感触を味わいたくなり,一日のうちに何度もケースを開け閉めして,対物レンズを出し入れするということになってしまいます。そんな症状が出たら,もう元に戻ることはできません。大変危険です(画像/MWS)。 2016年4月13日 この顕微鏡対物レンズは19世紀末のデザインで,実物はもちろん,いままでカタログでも,ネット上でも,当時の雑誌(RMS)でも見たことがなく存在を知らないものでした。が,あるとき中古市場に転がっているときに目が合ってしまい,壊れていて使えないことを承知の上で,うちのコになることとなりました。先玉は割れていたのを修理して,結像するようにはなりましたが,どうやら結像性能はもともと狙ってないレンズのような気がしてきました。レンズの刻印を素直に解釈すれば,Apert=1.45で油浸のAchsenbilder用ということになります。可能な限りの開口を追求したコノスコープ専用対物レンズなのかもしれません。希少なものと想像します。 筆者はコレクター的な趣味はないので,顕微鏡やレンズを買うときには必ず使い途があって実際使うのですが,このレンズはスペックに飛びついて,歴史的な存在として保護するために購入したと言っても過言ではありません。唯一のコレクション品といえるかもしれません(画像/MWS)。 2016年4月12日 料理というのは刃物を扱うということでもありますので,もっとも大事なことはケガをしないことです。毎日台所に立って,きょうもケガをしないぞと言い聞かせながら野菜を刻むわけです。さてそれできょうの画像はゴボウのささがき。混ぜご飯などにはゴボウが不可欠なわけですが,輪切りにすると今ひとつ混ざる具合がよくない感じもしていて,ささがきになるわけです。ふつうはゴボウを左手に持って,右手の包丁の刃先を下に向けてゴボウに当てて,ささがきにして水の中に落としていくわけですが,その方法は5年以上前に廃止しました。代わりに,きょうの画像のように右手で包丁を持ち刃先を斜め上向こう側に向けて,右手で持ったゴボウを,鉛筆でも削るようにしながわささがきにしています。この方がはるかに安全な感じで,また包丁がボウルやまな板に当たりませんので刃先が傷まず切れ味が低下しません。ちまちまと珪藻をいじりはじめると料理にも変化があったりするのです(画像/MWS)。 2016年4月11日 恒例の春の不眠症祭りが訪れたもよう…。なので一休み…してみたのだけれども,あんまし効果がないもよう…。23時に横になって,足がだるくなったり熱くなったり,うつらうつらとしても頭の芯が寝てくれない状態が続き,体が寝ていないのでトイレは4回。寝られたのは05時頃。それでも変な夢をみつつぼんやりと寝ている感じで5時間後には耐えきれずに起床。そしてこれでも,寝られた部類という状況。脳みそは惚け中年という感じで細かい仕事はできません。仕方なくレンズのメンテナンスや片づけをしているといった有様です。ほとんど末期的な症状に見えるかもしれませんが,こういった不眠症的な生活は子どもの頃からなのです。23時に布団に入り,25時から26時にやっと寝られるというのが中学生の頃のまいにちでした。なのでこれを改善しようと努力する方が時間の無駄になる可能性もあり,いーかげんに生活して乗り切っているわけですけれども,脳みそも体も動かなくなるのがしんどいですね。 それにしても不思議なのが,ふつうにあくびが出て眠いーと感じることがないこと。眠くなったから寝るという感じは,通常は生じることがなく,連続してあくびが出て眠くなると大変珍しい感じがします。そういうときに横になっても大抵は寝られませんが。眠気を感じる回路が破損している以上,上手に寝ることは難しいのかもしれません。面白くない毎日なのですが,不眠症患者にとってはふつうのことで,慣れきったしんどさでもあります。たぶんこれでも軽い方だと思います。お勤めの方などは本当に大変だと思います。 寝られないこと自体は自分の人生経験そのものなので珍しくも不思議でもありません。中学生の頃,寝袋を買ってもらい,それを数十年使いましたが,その寝袋でまともに寝られたのは2回だけという笑い話もあります。その2回はいずれも自転車で200km走ったあとでしたので,寝られたというよりも失神したという感じでしょうか。ほかは,山の上でも,バンガローの中でも,寝られたことがありません。寝られないのなら寝袋ではないので,モグリ袋とでもいえばいいでしょうか。寝られないので人に貸して人様がグーグー寝ているのを眺めていたこともあります。寝れないことが判明しているので,仕方なく,枕にして空を眺めていたこともあります。よく考えれば,自宅でもまともに熟睡できないのに,外に出てまともに寝られるわけがないのです。そのことに気づくのに数十年を要しました…。アホですね(画像/MWS)。 2016年4月10日 のらぼうを探す旅に出ました。春のわずかな期間だけ販売されるのらぼうは,五日市のふもとで育った筆者にとっては重要食糧のひとつです。中年になってから葉っぱがどんどんおいしくなってきて,「のらぼう食いて〜」といいながら,毎年,春を待っているのです。。昨年入手できた,あきる野とうきゅうには置いてなく,ヤバイ感じがしましたが我らの味方,スーパーオザムの地場ものコーナーにちゃんと置いてありました。増戸産。歩いても数十分の距離のところで,まさに地場ものです。ありがたやー。昨年よりもずっと早く伸びている印象で,来週以降は脇芽をつまんだ感じのものになりそうです。 久しぶりの出会いで小躍りしてお買い物。スーパーのかご一杯にのらぼう。これを蒸らさないように,フジヤカメラの手提げ袋に入れて紙で巻き巻きして輸送。肉や魚は氷温輸送すれば大して鮮度は落ちずに日持ちしますが,芽を食べるような葉物の野菜は時間当たりの味の変化が大きく,可能な限り早く処理しなければなりません。持ち帰ったのらぼうは,かもめちくわ,ブナシメジ,油揚げと一緒に酒,しょうゆで蒸し炒めにして一品。あとは茹でて水を絞り素材として利用。これで今年の春の課題を一つ解決です。のらぼう,うまいですよ。ちょうど今が旬です(画像/MWS)。 2016年4月9日 本ページをご覧の方であれば,暗視野法の威力は説明するまでもないと思います。明視野ではコントラストが低くて視認しにくい物体が,暗視野コンデンサをつけるだけでくっきり鮮明に見えるようになります。ただし散乱光を拾っているわけなので物体の輪郭はよくみえますが,つぶれてしまう構造もあります。そういった限界を知った上で使えばじつに有用なものです。Jシリーズの検鏡では低NA対物レンズに高NAの暗視野コンデンサで珪藻の色を楽しむということもできますし,高NA対物レンズに高NA暗視野コンデンサで輪帯照明(明視野)にして微細構造の強調を狙うという使い方もできます。この配置では,要するにコンデンサの中央をふさいで周辺からリング状に光を入れるので,その対物レンズで解像できる限界付近のコントラストがあがります。 そういった数々の有用な使い方ができる暗視野コンデンサも,出先の研究機関や教育機関で見かけることはまずありません。もちろん手作りの暗視野コンデンサを見かけることもなく,位相差コンデンサの簡易暗視野法を知っている人が少数おられるくらいな感じです。そうなっている原因は,単に暗視野コンデンサ(法)を知らないということだろうと思います。なぜなら,そこの研究室の顕微鏡に暗視野コンデンサをセットして見せると,皆一様に驚き,喜び,そして購入するに至るからです。単に未体験だったということです。 でももったいないですよね。顕微鏡は光の当て方でいろいろなことができる装置なのですが,それを勉強せずにいると,ただ明視野でコンデンサを開け閉めしておしまいの,退屈な機器になってしまいます。ちょっとでよいので顕微鏡の本でもみて,面白そうなコントラスト法は片っ端から試してみるくらいのことは,一度はやったほうがよいと思うのです。顕微鏡の販売代理店の方に,「暗視野コンデンサ,年に1個出るかでないかくらいでしょ?」と聞いてみたところ,「どんぴしゃ」という答えが返ってきました。そこの販売エリアには少なく見ても数千台の研究用顕微鏡が存在していそうですが,この安くて効果的な照明装置は,なかなか認識してもらえないようです(画像/MWS)。 2016年4月8日 これはニコンS型顕微鏡の照明部分に差し込んで使うストロボ照明装置。この装置の後ろ側の差し込み口には通常の6V30Wタングステン電球ソケットがつくようになっていて,その電球でケーラー照明を行いつつも,中央付近のスロットに差し込んでセットしたキセノン放電管で,ケーラー照明の配置でストロボ発光ができるという代物。コレクタレンズを何段も仕込んだ上で瞳の伝送も正確に行わなければいけないので凝った設計になっています。ざんねんながらストロボの手持ちがないので,キセノン管を使って自作しなければいけいのですが,まだやっていません。塗装も立派で傷みもなく,ホント日本光学は立派なものを作っていたなぁと感心します(画像/MWS)。 2016年4月7日 タイヨウチュウっぽい原生生物を撮影しても,あまりに細い有軸の仮足がよく写りません(上の画像)。微分干渉や暗視野なら写りますが,明視野ではなかなか難しい対象です。しかし画像処理をすると,けっこうよく表現できたりします(下の画像)。この画像をどうやって作ったのかというと,まず上の画像のコピーを作り,その画像にガウスぼかしをかけて,両者で減算します。できあがった減算画像のヒストグラムを調節すると,ぼかした分だけの微細構造が抽出された絵ができます。次に原画のコントラストを上げます。そうしたら微細構造抽出画像と平均化します。こうした画像処理は画像全体に行っているので,新たに構造を書き加えたり特定の構造だけを消したりといったことが起きません。結果としてできあがった絵も,顕微鏡で覗いているイメージにより近く,それがパソコンの画面上で表現されています。こうした技法を試してみれば,過去に撮影して不満足だった顕微鏡写真が生き返るかもしれません。 このような画像処理を行うときに重要なことは,画像のコントラストは低くてもよいので,きちんと球面収差が最小の条件でイメージングができていることです。それができていれば,画像処理によって埋もれていた情報が浮き上がってきます。きょうの画像もコントラストは低いですが,カバーグラス水浸対物レンズを使い,補正環を適切に操作して最良の収差補正条件で撮像しています。どんな画像処理が可能になっても,光学的な知識に基づく顕微鏡の正しい操作が最優先事項であることは変わりません(画像/MWS)。 2016年4月6日 インコのねぐらがあることで有名な私鉄沿線の工業系大学で,入学式の式辞が英語で行われたというニュースが飛び込んできました。なんとも複雑な気分です。これにはどんな意味があるのでしょうか。式辞というのはこれから大学生活をはじめる若者に対して,その大学の建学の精神からはじまって,学問を究めることの大切さ,同時に心身共に健康で過ごして生長し仲間を作ることのかけがえのなさ,社会に対する責任,そしてこれからの活躍の場とその展望などについて,学長先生が語るものでしょう。それを,わざわざ聞き取りにくい,理解しにくい英語で日本人の入学生に向かって話すとは,いったい何ごとなのでしょう…という感想を個人的にはもつわけです。ニュースによれば,日本語訳が配られたとのことで,英語で式辞を述べるのであればまったく不要なはずのものを配布するという筋金のなさにも驚嘆します。 まぁ英語がまったくできない筆者が感じることですから,たぶんこちらの感覚が間違っているのだろうと思いたいです。そうならいいのですけど,式辞というのは入学生に一定の方針と覚悟を与える,それなりには意味のある教育的言辞です。それを,母国語を捨てて外国語を使い,聞き取れなかったことによる損失を生み出すわけです。損失があるからには,それを超えるメリットがなくてはならないはずで,そのメリットは何なのだろうと途方にくれるばかりです。 筆者の見解では,優れた人材や国力というのは,まずは母国語による思考の深さに基づくもので,そこから個人の人生において一つの軸を打ち立てつつそこに経験を付加していって,多様な能力が発揮されるものだろうと考えます。小学生から英語をやろうとか,話す中身も持たないのに英語の勉強ばかりいくらやったところで,人材の技術力や発想力,対応力や思考力が増加するわけではなく,むしろ時間を奪うことでマイナスの影響すらあるのではないかと想像しています。 このように書くと顔を真っ赤にして反論する人が大勢いる世の中であることは承知しています。けれども,将来国際的な人材になろうと,英語を一生懸命勉強していたら,イチローが誕生したと思いますか? グローバル化した世の中に適応するために英語を勉強していたら羽生善治が誕生したでしょうか? 世の中に認められるために英語で活動したからKITARO(喜多郎)や久石譲やスタジオジブリが誕生したのでしょうか。 むかし聞いた話でうろ覚えですが,GHQが,新幹線構想のもととなる弾丸列車計画の詳細を入手したときに,「このような優れて綿密なロジックに基づく計画が日本語でできるわけはない。英語の設計書があるはずだ。隠さずに提出せよ」と日本側に迫ったそうです。もちろんそんなものはあるはずがなく,弾丸列車も新幹線も日本語の論理と思考で設計されていたわけです。世界最古クラスの木造建築物群は日本国内に集中しており,1000年以上経過しているものもあるわけですが,それらも英語で設計されたわけではありません。 つまり母国語での徹底した思考のもとに生み出されたものが,世界中の誰もが認めるスーパースターであり,世界中で愛されるアニメ映画であり,日本に来たら一度は乗りたい輸送機関であり,世界中の人が訪問する世界最古の木造建築物群だったわけです。 別に英語を排除せよと言っているわけではありません。日本語は外国語を巧みに取り入れてしまう同化能力に優れていて,それは日本語の表現が多彩なこととも関係しているでしょう。外国語には,その母国語だけでは科学教育が成立しない場合もあって,そのような国では英語で科学の授業が行われているといいます。しかし日本語は母国語でレベルの高い科学教育が可能なことは歴史が証明しています。母国語で活動可能というのは,シームレスに深い思考をする上で,これ以上ない強みなのですから,ここをゆたかにして,誰もが母国語で科学を深く理解するように育て上げるのが教育の重要な役割であって,それが達成された暁には,誰もが認めるノーベル賞級の,サイエンスの世界に深く貢献する学者が出てくるものと確信します。つねに日本語で思考する益川敏英博士のように。 入学式の式辞を英語で行うなどというのは,母国語での思考の妨害以外の何者でもなく,言いたいメッセージが入学者の心に届くこともなく,マスコミ向けの話題づくりのパフォーマンスくらいにしかならないでしょう。この工業系大学は,中立を装いながら世論を誘導しているようなニュースキャスターを教員に迎えたり,出張先で用務を証明するために用務先で関係者の直筆サインを要する面倒な書類を創案して事務作業量を膨大に増加させたり,研究費泥棒を防ぐために現職以外の教員から誓約書を出させたりと,教育研究を停滞させかねないような不思議なことをしている印象があるのですが,今回の英語の式辞もまたおかしなもので,これを決定した責任者と実行した学長は,異常集団としかいいようがありません。こんな人がトップの大学に勤務しておられる方々の苦労がしのばれます。 一年前の信州大学入学式における山沢清人学長による式辞(朝日新聞社)を読めばわかるように,この学長は,平易な言葉で,各方面の方々に配慮を行き届かせつつ,入学生にむかって大事なことを,その言葉が心に届くように工夫をして話をしています。これこそが式辞です。この話を英語でやったなら,何の効果もなく,早く終われよと思う入学生が大量発生して時間のムダとなったことでしょう。 人に伝えること,伝わること,この大事な部分を無視した行為を行うものは,まともな教育者ではありません。大学教員は,論文が書けて研究ができれば,教育の素人でもなれる類の職種です。ほとんどの方々は,研究も教育もできる,スーパーマルチな優秀な方々ですが,たまにとんでもないのがいます。入学式の式辞を英語でやってご満悦な学長さんは,筆者の個人的な見解では,木を見て森を見ず,山も川も海も見ないで,一枚の衛星写真で地球がわかった気になっている阿呆ですね(画像/MWS)。 *1 こういう,自分ではよいことをやっていると確信しているような人が世の中や組織をぐちゃぐちゃに破壊するので要注意な感じがします。母国語をバカにする人は教育者の資格がありません。もし日本語で式辞を述べて,留学生のために多国語の翻訳を配布したのなら,それは入学者のすべての母国語を尊重しているわけで,よい教育者といえるのですが。 *2 日本語というのは英語などとは全く異なる大脳活動を必要とするらしいので(こちら),その違いを認識した上で,どうやって母国語を活用して英語と共存するのかを考えるのが,グローバル化時代の人材育成では重要な気がします。猫も杓子も英語英語と無理矢理勉強させても無駄かもしれないのです。 *3 この工業系大学には知人が数人いて,いずれもお世話になっている方々ばかりで,こういったことを書くのは申し訳ない気もします。どうかご気分を害されないようにとお祈りするしかありません。 2016年4月5日 昨日の画像と同じ倍率で,取り扱える最小サイズの珪藻を撮影するとこんな感じです…。この領域になると自由な拾い出しは不可能で,歩留まりは極端に悪化します。作業用に用いている顕微鏡対物レンズのNA(0.2)から見ても,分解能に近い大きさで照明をうまく使わないと見えないこともあり,何なのこの罰ゲームはという世界です。拾うのも難しいなら,それを置くのも困難で,さらにそれを拾って置くのも困難で,やっと置いたものを並べるのは極端に困難で,それを固定するのは恐ろしく難しいという狂気の世界です(画像/MWS)。 2016年4月4日 珪藻在庫の作成中などは,まず撮影はしません。拾った珪藻が汚れてしまうのを極力防ぐためと事故防止の観点からです。しかし透過明視野の配置なら撮影セットを組まなくても作業中の様子をマクロ撮影できることに気がついてやってみました。その結果がきょうの画像で,湧水から採取した中型程度の珪藻が拾い上げられてストックされています。この照明配置での撮影は初めてで,なかなか新鮮な絵の感じがします。画面横幅は3.8mm程度で,写っているほとんどの珪藻は0.1mm以下のサイズです(画像/MWS)。 2016年4月3日 顕微鏡でデジタルイメージングを行ったあとは,画像処理を行うことが重要です。撮ってそのままで使える絵もありますが,表現したい部分がきちんと見えるように再現すれば,よりよい絵になることが多いのです。肉眼は対数的な感度特性を持っていますが,デジタル素子はリニアな特性を持っているので,見えているものが違います。目では決して飽和していないのに,デジタル写真では飽和してしまうなどというのは日常経験するところで,目とデジタルカメラの違いが出ている現象です。これとは反対に,目では見えていないのにカメラには見えているという現象もあって,その場合は,画像処理により,目に見える階調まで画像処理してあげれば楽に目で見えるようになるので,処理が重要なのです。きょうの画像は近所の池にいたミカヅキモの仲間。上の画像は縮小のみ。下の画像は微細構造とコントラスト強調を行っています。下の画像では,もとの画像ではほとんど見ることのできない微細構造や薄い模様が可視化されています(画像/MWS)。 2016年4月2日 ヒヨドリと桜は,なんとなくそれなりの組み合わせになっていて,やっぱり下品には見えない感じがします。和のテイストというやつでしょうか。東京の桜はちょうど満開です(画像/MWS)。 2016年4月1日 近所の公園を歩いていたら日本の野鳥とは思えない変な声が聞こえたので見上げると,へんてこりんな鳥がいるではありませんか。目黒区方面ではかなり有名らしいのですが,まさか文京区にいるとは知りませんでした。はるか頭上のかなり遠いところにとまるので今まで気づかなかったのだと思います。鳥は詳しくありませんが,こいつはワカケホンセイインコでよいのでは?と思います。 それにしてもこの鳥は,日本の風景になじまない感じがします。鳥さんはわるくないのですけど,何というか,場違いな感じがします。鳥かごに入って部屋の中にいれば見映えがして可愛いだろうと想像しますが,満開の桜にとまって花をつぎつぎと食いちぎっていく姿は,あまり上品な感じがしません。ヒヨドリも桜をつつきまわして花びらを散らかしますが,これはそれほど下品に見えないのは見慣れた風景だからでしょうか。きょうの画像は追いかけ回してやっととれたもの。遠くにとまる鳥は,最低でも500mmクラスの望遠レンズが必要で,撮影しても眠い絵が多く,逆光で光の条件もわるく,歩留まりがわるいですね(画像/MWS)。 Copyright (C) 2015 MWS MicroWorldServices All rights reserved. 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きょうの画像は珪藻の小ささを示してみたもの。最近製作した特注品を撮影したものです。大型珪藻を一切使わずに,やや小型のものを中心に122個の珪藻の殻を並べて円形に配置していますが,この円の直径は0.57mmです。1mmもないのです。画像二枚目はスケール(0.01mm目盛り)と重ねてみたものでサイズがよくわかります。0.1ミリメートルをはるかに下回る,高倍率で見ても小さくしか見えない珪藻がたくさん並んでいます(画像/MWS)。
小さな小さな珪藻に比べると放散虫は巨大なものが多いです。きのうの,やや小型の珪藻と比較すれば大きな放散虫は化け物で,珪藻が成人1人の大きさだとすれば,放散虫は大邸宅一件分です。珪藻並べが精密機械工作だとすると,放散虫並べは土木工事のようなスケールです。問題なのは脳が慣れる現象があることで,放散虫を数ヶ月もいじっていると,小型珪藻を扱うのが下手になった気がします。逆に小型珪藻ばかり扱っていると,放散虫は大きくてらくな感じがします。バランスをとらないとリハビリに時間がかかることになります。まぁ,それも面白い時間ですが。画像は今週作った特注品。大きくて立派なものを中心に大量にならべたものです(画像/MWS)。
この二つの小型珪藻も最近マウントしたものです。画像1枚目の珪藻は長さ0.013mm,幅0.0074mmです。二枚目の珪藻は長さ約0.018mm,幅0.0046mmのもの。どんな珪藻なのかは,作業中にはわからないので,カンで扱います。被殻の硬さとか,丸っこさとか,特定方向の反射などを見分ければ,微細構造が見えなくてもある程度の情報は得られますので,カンは当てずっぽうというほどひどいものではなく,けっこういい線いっている感じのときもあります。しかし本当の姿は封入後に油浸検鏡しなければわからないので,カンといえばカンですね。小型の珪藻を拾うときに問題になるのは凝集と密着でしょうか。あまりにも小さくて,団子になってしまったらほぐすことは非常に困難になります。また,ガラス板に密着してしまえば,それを剥がそうとするだけで破損します。ものが小さくなってくると,住み慣れた重力の世界とは異なる原理が働いていて,あちこちにこっくいてしまい,ハンドリングの手さばきにも工夫が求められます。 ところで,上の二枚の画像は少しぼけているように見えます。これは,無効拡大(それ以上拡大しても細かいところが見えてくるわけではないのに拡大すること)の影響もありますし,もう一つは,光波の回折限界付近の画像だからということもあります。写っている最小構造は光の波長の1/2程度のもので,物体の像を作るには,ゼロ次と1次の回折光しか使えません。つまり最低限の情報で物体像ができているわけです。こういう結像で位相物体を写しているわけですから,微細構造部分については,コントラストが低く,エッジが判然としません。 無効拡大にならない程度に縮小して,シャープフィルタをかけたものが三枚目の画像。これで多少は引き締まった感じの絵になります。顕微鏡写真をシャープに見せるには,最適な拡大率を設定することが重要です。その一方で,情報をもれなく素子上に載せるには拡大率が大きいほど取りこぼしがなくなります。また,拡大率が大きければ素子の熱ノイズなどの影響も小さくできます。こういったことを総合的に考えて撮影倍率を決めて,画像処理を行い,適切に表現できる画像を作っていくのです(画像/MWS)。
街中では桐は珍しいらしい。そういわれてみると確かに思い当たる桐の木はあんまりない。さんぽの巡回コースに少しあるのが手近なところで,ほかはもっと遠い。この画像の桐の木は小学校に植わっているもので,なんでこんなものが植わっているかというと,校章が桐だから(だと思う)。その小学校は,大学教員になるのは普通で,大企業の社長や,議員さんや,総理大臣も数人いるくらいの,超エリート学校。門から元気に出てくる小学生たちは,一人残らず頭脳明晰で将来が約束されている若者です。道を踏み外した人生を送る筆者は,このエリート学校の外周道路を,こそこそとさんぽさせてもらうのです(画像/MWS)。
ウチから徒歩圏内の庭園(六義園)はこんな感じ。都区内はもう,ツツジは終わりにさしかかっている感じです。むかしはツツジ満開は連休の頃と記憶しているのですが,その頃は八王子に住んでいたので少しずれているのかもしれません。新緑から濃い緑に変わるまでの短い期間,ほんとうに目に優しくいつまでもみていたい気がします。個人的には三枚目の絵が好み。山歩きしていてヤマツツジに出くわしたような雰囲気を感じて,八王子の野山を散策していた昔を思い出すのです(画像/MWS)。
季節は夏にむかってまっしぐらという感じで進んでいます。冬の間は民家の庭先で米粒をつまんでいた鳥たちも森の中に入り,一心不乱に昆虫探しです。子育てのシーズンは栄養に富む,体をつくるタンパク質が重要なのはいうまでもありませんが,鳥さんは学校に行ったこともないのに(一説によると雀の学校というのがあるらしいが),4月に入ると一斉に虫探しに勤しみます。人間は好きこのんで炭水化物ばかり食べて体調を崩しても病院が面倒みてくれますが,鳥がそんな子育てをしたら生育不良で生き残れないでしょう。こうしてみると,人間はホント,好きなものが自由に喰えて恵まれていると思う一方で,自分の食べるべきものの知識もないのかと思わずにはいられません。画像は日曜日の午後にみかけたスズメ。数十枚撮影しましたがまともなものはこの2枚だけ。顕微鏡写真でいえば泳いでいる鞭毛藻や繊毛虫を写すのと同じような歩留まりの悪さです(画像/MWS)。
きのうの画像と同じ倍率で撮影したクチビルケイソウの中央部。OTK-01に入っているCymbella janischiiという比較的大型の珪藻です。全体の1/10も写っていない感じで,きのうの珪藻を横に並べると,ヒトとネズミくらい違うような感じもします…。大きな珪藻は小さなものよりは格段に扱いやすいですが,並べるときはけっこう難しく弱い部分を押すと破損しますので,押していい部分だけ,引っ張ってい良い部分だけを触ります。しかし目に見えないひび割れが入っていることもあるので,正しく操作していてもパリンと割れてしまうこともあります。また,このくらい大きな珪藻になると,内側に超小型の珪藻が貼り付いていることがあり,それが死角にあると気づかないままに並べてしまったりすることもあります。気が抜けないのです(画像/MWS)。
この珪藻は小さいものを並べて欲しいというリクエストに応じて最近並べたもので,長さは0.012mm,幅は0.004mmです。通常は扱わないサイズで,歴史的に見ても,このサイズのものを並べているものは見かけないような気がします。この一個を拾うのも大変ですし並べるのも封じるのも大変です。NA=0.2でフリーハンドで拾っているといえば,顕微鏡が分かる方には難しさが想像できるかと思います。でも結果的に並べられたので一歩前進という感じです(画像/MWS)。
もひとつボルボックス。丸い方がそれらしい感じがします。あと,周囲にゴミが見えない方が見映えがします。Jシリーズと同じです。そういうわけでこの画像は右側で軽微なゴミ消し,ピクセル不良の修正を行っています(画像/MWS)。
先日はじめてボルボックス(Volvox carteri, NIES-398)を撮影してみたのですが難しいですね。。あらゆるパラメータを最適化しないと見映えのする絵には持ち込めない感じで,まるでこちらが試されているようです。ようやく撮影した絵を晒します。何とか写ってはいますがプロから笑われても仕方がないような気もします…(画像/MWS)。 * このボルボックスはレンズテスト用の生物試料として持ち込まれ,当室で試験を行ったものです。残念ながら都区内でボルボックスを探すのはそれほど簡単ではありません。いちばん近い水田でも数十km離れているのですから。
エコノミークラス症候群の予防にはアスピリンの少量服用が効果的です。今回の熊本方面の地震では多くの方が避難して,車の中で寝泊まりしている人も多いと報道されています。車内のような,体が部分的に圧迫され,頭が高くて足が低い位置にある姿勢は,長時間続くと足の静脈に血栓ができ,起床時や足を動かしたときにこの血栓が肺などに飛んで肺塞栓等を引き起こすことがあります。血栓の予防には水分摂取と運動が効果的と言われますが,よりしっかりと予防するためにアスピリンの少量服用という手段があることを忘れずにいてください。 服用法は簡単で,市販のアスピリンを分割して,一日辺り50〜100mgの少量を夕食後に服用するだけです。割るのが難しいなら,水に溶いてしまい,それをよくかき混ぜて50〜100mgの分量になるように服用すればOKです。だいたい,市販のアスピリン錠剤の一錠の1/4くらいを飲むことになります。 このようなアスピリンの使い方はバイアスピリン療法とも呼ばれ,国外ではふつうのことです。アスピリンは「バファリン」としても有名で誰でも飲んだことのあるような種類の,一般薬局で入手可能な薬です。これを,ふつうの用量よりもはるかに少ない量を飲むのですから,副作用も非常に小さいと考えてよく,避難が続き身動きの取れない状態で就寝するような場合は服用しておくとよいと思います。ここで書いたことは筆者の独断でなく, こちら でも推奨されている,ごく当たり前のことです。筆者も長時間の旅行や,長時間イスに座り続けなければならない仕事のときは,ときどき,アスピリン錠剤を割って服用しています。当たり前ですが自己責任です。 なお,すでにワーファリンなどを服用している方が飲んではいけません。健康で薬の服用のない方で,消炎鎮痛剤等のアレルギー歴がない人が対象です。大部分の方が該当することと思います。通院中の方などは,医師に相談してください。妊婦の方はあらゆる薬がよくないので飲まない方がよいと考えます(それ以前に,車の中で寝たりせずに周囲に助けてもらってください)。以上の情報を被災地の方も,そうでない方も,ぜひ参考にしてください。 芍薬甘草湯も常備してください。この漢方薬は,筋肉のけいれんを素早く止める働きを持っています。その効き目は,筋肉のけいれんに対するものであれば,どんな鎮痛剤よりも効果的なものです。災害時には,転倒したり,重いものを持ち上げたりして,ぎっくり腰の発生もあるかと思います。そのときに芍薬甘草湯を持っていれば,すぐに痛みを止めることができ,症状の増悪を防ぐことができます。用法は簡単で,ぎっくり腰をやってしまったと思ったら,水かお湯,なければそのまま粉末で2包飲みます。すぐに痛みがひきますが,4〜7時間後に再び痛みがでることが多いので,そのときは1包飲みます。以後おなじように,痛みが出たら飲むことを繰り返します。 使い方のコツは一回目を可能な限り早く飲むことです。ぎっくり腰は,何かをきっかけとして,筋肉が過剰な収縮を起こしてしまうことが痛みの原因です。この過剰な収縮を放置すれば,つぎつぎと周囲の組織に破壊が進み,炎症が発生し,治癒が一ヶ月コースになります。しかし,やってしまった!と思ってからすぐに芍薬甘草湯を飲めば,筋肉の収縮そのものを止めるので,破壊の進行がなく,炎症も起こらず,すぐに治癒します。いつも身につけて持ち歩く価値のある漢方です。この薬も,どこの薬局にも置いてあります。 芍薬甘草湯は尿路結石の発作にも卓効します。平滑筋の収縮に関連することだからです。すでに尿路結石と診断されて,結石の自然排出を待っている方であれば,この薬を常備していて損なことはないと思います。 生理痛・子宮筋腫の痛みにも芍薬甘草湯が奏効します。生理痛や子宮筋腫の発作も筋肉の収縮を原因とするので,ボルタレン,ロキソニン,イブプロフェンを飲んでも大した効き目がありません。これらの薬剤は痛みの原因を放置し,生じた痛みだけを消そうとするものだからです。効果が弱いだけでなく空腹時に飲めば胃を荒らし,鎮痛効果もさらに弱くなります。食事あわせて飲むと多少は効果的ですが鎮痛効果は2時間くらいしか持たず,しかし次の薬を飲むまでに時間を空けなくてはならず,苦しい時間を過ごすことになります。アスピリンに至っては,大量出血の恐れもありますので,たとえ薬の効能書きに生理痛と書いてあっても飲んではいけません。これらの鎮痛剤をすぐにやめ,生理痛には芍薬甘草湯をお試しください。1包でもききますが,体が引きちぎられるような苦しさの人は2包飲んだ方がよいでしょう。お湯で飲むのが基本ですが水でも,なければ粉のまま飲んでも効きます。必ず効きます。痛みをとめるのではなくて,痛みの原因を止めるからです。 どのくらい効くかというと,生理痛がひどくてトイレまで辿り着くことができないので生理時にはトイレの前で毛布を被って寝ているような患者さん,子宮筋腫の発作で苦しみ救急車で病院に運ばれるような患者さん,発作が週に何度も起きて来月にも子宮全摘術を控えているような患者さん,こういった重症の方々でも,芍薬甘草湯を飲めば,そのときの痛みはちゃんと収まります。但し,出血を止める効果はありません。 芍薬甘草湯は,効くときには20分からおおむね40分以内に効果をきちんと感じます。もし1〜2時間経っても効果がないのであれば,別の,筋収縮以外の疾患の恐れもありますので早急に医師の診察を受けて下さい。 芍薬甘草湯を飲むときに大切なことは,普段は一切飲まないで,痛みが出たときにだけ飲むという使い方をすることです。こういう薬の飲み方を頓服といいますが,必ず守ってください。医師の中にはこの薬の使い方に関して知識のない人が多く,生理痛にせっかく芍薬甘草湯を処方していながら,一日三回,朝昼晩に飲むように指導されたりします。このような飲み方では逆効果で,この漢方は全く効果がありません。朝昼晩,きっちり飲んでいた人が,生理痛でのたうち回り,1回の生理期間でイブプロフェンを10錠も飲むようなことになっているのを見たことがあります。その人にイブプロフェンをやめてもらい,芍薬甘草湯を毎日飲むのもやめてもらい,痛いときだけ芍薬甘草湯を頓服してもらったら必ず効くといったことが起こりました(複数名)。医師から生理痛で芍薬甘草湯を処方されている方は,医師の指示通りには飲まず,頓服で使ってみてください。 ほかの甘草製剤を服用していることがなく,芍薬甘草湯を頓服で使う限りは副作用もきわめて小さく,甘草の過剰摂取により起こる偽アルドステロン症となる心配はありません。 以上は芍薬甘草湯の使い方を10年間追求してきた筆者の体験に基づきます。これまで,ぎっくり腰,生理痛,子宮筋腫発作で苦しむ人に推奨して来ましたが,筆者の言うことを正しく聞いた人,目の前のぎっくり腰などで筆者が手持ちのものを直接飲ませた人には100%の効果が見られています。あとから飲んだ,翌日になって飲んだ,という人は,多少は効きますが手遅れです。ぎっくり腰などでは,どんなに痛くて動けなくても何とかして芍薬甘草湯を一刻もはやく飲んだ方が,比較にならないほど早く治癒します。 以上,災害時に役立つ情報として掲載します。もちろん一般の方にも役立つはずです。読者におきましてはこの情報を日をかえて最低3回読んで頭に叩き込んでください。そして更にご自身で調べ,情報を有効活用していただければと思います(画像/MWS)。 * この項,必要に応じて加筆します。 *肺塞栓と心筋梗塞と混同して記述していたのを修正。わかっているのに思い違いで記してしまいました。すみません。肺塞栓は手術などで寝ているときにも起こるので,手術経験者は医師から説明を受けたことのある人も多いと思います。
画像はリンク先 地震研究推進本部 から作成しました。この表に記載されている数値は,熊本県のハザードマップにも採用されています。この表をざっとみて分かることは,今後30年に地震が起きる確率が,ほぼゼロと発表された翌年に甚大な被害の大地震が起きたということです。つまり地震の発生確率は全く当てにならないということです。また日本には大量の活断層がありますが,活断層は現在判明しているものがそう呼ばれているわけで,関東ローム層のはるか下に潜っていてまだ発見されていない断層があったとするならば,誰もその存在を知ることができず,そこには現時点で活断層がないとみなされるということになります。そしてそこで地震が発生する確率はゼロではありません。 ここ20年を振り返ってみても,不幸なことに,要注意とされているところではなかなか地震が起きず(東海地方〜東京方面など),注目されていないところで大きな地震が起こることが続いているように思えます。地震発生確率などというものは,現時点ではまず参考にならないと思って,全ての場所が危険地域と思いながら日々生活するのが地震国の住人の過ごし方かもしれません。 もう一つ今回の震災に関する情報 こちら。数十年前に作成された不確実で根拠も不明な研究をもとに,全国の建築基準がおかしなことになっているという,驚くべき内容が記されています。今回の地震は浅い上にほぼ活断層上に存在した建築物もあったわけで,損壊を免れるのは難しかったかもしれませんが,それでも耐震性がもう少しだけあれば,家屋に押しつぶされずに済んだ例もあったかもしれず,このリンク先の記事が指摘するところは重大なことだと感じます(画像/スクリーンショットを加工)。
昨日の記事にも追記しましたが,今回の地震は,別府−島原地溝帯内での現象であり,中央構造線と関連させて話をすることはできず,中央構造線という言葉を使うのは完全な誤りとの指摘を専門家から頂きました。昨日記事を書いたときも,別府−島原地溝帯の地震であることは認識していたのですが,マクロな視点から中央構造線の近傍で起きている現象であると書きました。そういう言葉の使い方もできない,完全に別のものだということです。漠然としたイメージで語ることの誤りを指摘頂き,認識を修正できて有り難く思いました。専門家の先生には感謝申し上げます。 さてそうすると,おそらくは,別府−島原地溝帯内部で今後活断層がどのように刺激されて地震が誘発されるかを考えるのが第一なのだろうと思います。この地溝帯は名前の通り島原方面に伸びていて,専門家の先生に教えてもらった資料によれば,別府から島原に向かって低重力異常部が連続しています。この重力異常部は川内原発方面には伸びていないので,今回の地震が地溝帯内部でまとまっているものであるならば別府から東方面と,熊本から島原方面を心配するのが防災上も大事だろうということになります。 きょうの画像はHi-net自動処理震源マップのサイトで熊本県地方の7日分のデータをマッピングしたもの。まさに別府−島原地溝帯内の地震であることを表しています。川内原発方面では,まだ震源はなにもない状態であることも読み取れます。ただ,少し気になるのは,この100kmを超える群発地震の西側末端が,島原半島方面に向かわずに,やや南を向いているように見えることです。マグニチュードはそれほど大きくなくとも,これだけ長い距離でエネルギーの開放が起きたわけで,付近の活断層にかかる応力は新しいモードに入った可能性もあります。この群発地震がどのように推移するのかわかりませんが,別府−島原地溝帯付近はもちろん,それ以外の周辺地域でも予めできる対策は施しておくに越したことはないと思われます(画像/スクリーンショット)。
この記事は正しくない認識に基づいて書かれています。今回の地震で中央構造線の話と関連させるのは間違い以外のなにものでもないというご指摘を専門家より賜りました。別府−島原地溝帯内で起きている現象ととらえ,中央構造線とは切り離して考えるのが正確な認識とのことです。つまり,大局的に見て中央構造線に沿って地震が起きているという表現は不可ということです。文責を記録として残すためと,原発の取扱に関する論旨には変わりがないので本文はこのまま残しますが,正しくない認識のもとに書かれていて,読者に与えるニュアンスが歪曲されている可能性が高いと解釈してください。(4月18日追記) ---------------------- 熊本方面が大変なことになっていて心が痛みます。少しでもはやい地震活動の収束と,被災された方々の救助が進むよう願っています。 今回の地震は基本的には中央構造線に沿って群発しているので,余震・本震といった表現では現象を正しく表していないかもしれません。確かに最初のトリガー(引き金)はどれかの地震で,そして大きなエネルギーの開放の地震があって,続いて中規模のエネルギーの開放となっている,余震−本震とみられる現象も起きています。しかし震源が浅く,その震源が東に走っていっているので,それは余震ではなくて,誘発された別の地震と見られます。余震に警戒という範囲を超えていて,ニュースなどでは『大きな連続地震に注意』と言った方がよいように思えます。 エネルギーの開放状況としては大きくありませんが,活断層の地震が100kmのエリアにわたって発生しているので,熊本−大分から離れていても中央構造線上にある活断層は危険性が増加したと考えるのが素直に思えます。この状況で川内原発が運転を継続しているのは不安材料の一つです。画像1枚目の,朝日新聞社の大変優れた絵にまとめられているように伊方原発と川内原発は中央構造線に隣接しており,マクロな目で見れば危険なエリアそのものです。現状では震源は伊方原発に近づきつつありますが,南の方で活断層が動き出す可能性もあることは誰も否定できないでしょう。 東日本大震災のとき,時の総理大臣は不安材料を減らすために浜岡原発を停止させました。結果的には大地震が浜岡原発を襲うことは現時点までに起きていないわけですが判断としてはきわめて合理的なものだったと筆者は評価しています。運転中の原子炉は地震によりLOCAのような大規模事故が起これば,すぐに炉心が損傷して放射能をまき散らすのは誰でも知っていることです。運転停止して冷温状態まで持っていけば,そこでLOCAのような事故が起きたとしても,放射能をまき散らすまでに時間稼ぎができ,被曝者を減らすことができます。 今回は原子力防災担当相が運転継続と述べていますが,果たして合理的な判断といえるでしょうか。「自動停止の基準値以内の揺れ」だったから運転を続けるというのは,電力会社のマニュアルに書かれているようなことで,防災担当大臣が述べることではありません。今回の地震をどのようにとらえ,担当大臣としてどのような考えで原子力防災に望むのかということを述べなければ大臣の意味がありません。まさか,原子力防災担当相というのは,原子力災害が「起きてから」放射能汚染による「災害」を「防ぐ」という意味ではありませんよね? すでに熊本付近の交通網が寸断され,鉄道も空路も動かない状態で,鹿児島県側で原発事故が起きたらどのようなことになるのか,想像できないのでしょうか。 地震活動が収束するまで原発をとめて様子を見ることに関して技術的な問題はありません。とりあえず川内原発をとめて,九州地区の皆様の安心材料を一つ増やす,そういったことも,今回の地震被災者に対する心理的な支援になります。 ところで,NHKの報道をみていると,地震の震度情報を流すときに,川内原発が画面から微妙にはみでるようにしています。川内原発方面も揺れていることは報道してもよい情報のはずで,それを隠す情報操作は姑息な感じがします(画像/朝日新聞社,時事通信社ニュースのスクリーンショット)。
15日の午後は藻類学の大先生を迎えての顕微鏡の午後となりました。藻類学最先端の先生と,光学顕微鏡とともに暮らす筆者との出会いですから時間が足りない午後となるのは当然で,またの機会にということでお開きになるのでした。しかし,その数時間の間に交わされた情報量は,おそらく(情報量)ピットでは表すことのできない類のものかもしれないと思っています。10年以上のお付き合いになる先生なのですが,お越し頂いたのは初めてで,むかしからクールでカッコイイ先生と思っていたのですが,やっぱり,その通りなのでした(画像/MWS)。
これはかなり古いコンデンサ。夏目漱石が愛媛に赴任した頃のものです。二枚玉で構成はアッベコンデンサですが,NAの記載はありません。このコンデンサの不思議なところは,先玉の半球レンズが蛍光を発するのです。きょうの画像は365nm励起で光っているところ。むかしのガラスで蛍光性のあるものはたくさんありますが,こんなに鮮明に光るもので覚えがあるのはウランガラスくらいで,あとはどんなものがあるのでしょうか。試しに放射線を測定してみれば,ガンマ線もベータ線も発していないようです。可視光の明視野では何の問題もないので,蛍光ガラスでもふつうに検鏡できます(画像/MWS)。
19世紀後半の頃,顕微鏡対物レンズはこのような真鍮製のケースに入っていました。このケースは大変危険なものです。ずっしりとした質感,金属特有の冷たさ,ブラスの輝きによって,ケース自体が魅力を放っています。そこにカチャリと寸分の狂いもなく収まっている顕微鏡対物レンズ…。これを開け閉めしてしまうと,その加工精度の高いネジの感触を味わいたくなり,一日のうちに何度もケースを開け閉めして,対物レンズを出し入れするということになってしまいます。そんな症状が出たら,もう元に戻ることはできません。大変危険です(画像/MWS)。
この顕微鏡対物レンズは19世紀末のデザインで,実物はもちろん,いままでカタログでも,ネット上でも,当時の雑誌(RMS)でも見たことがなく存在を知らないものでした。が,あるとき中古市場に転がっているときに目が合ってしまい,壊れていて使えないことを承知の上で,うちのコになることとなりました。先玉は割れていたのを修理して,結像するようにはなりましたが,どうやら結像性能はもともと狙ってないレンズのような気がしてきました。レンズの刻印を素直に解釈すれば,Apert=1.45で油浸のAchsenbilder用ということになります。可能な限りの開口を追求したコノスコープ専用対物レンズなのかもしれません。希少なものと想像します。 筆者はコレクター的な趣味はないので,顕微鏡やレンズを買うときには必ず使い途があって実際使うのですが,このレンズはスペックに飛びついて,歴史的な存在として保護するために購入したと言っても過言ではありません。唯一のコレクション品といえるかもしれません(画像/MWS)。
料理というのは刃物を扱うということでもありますので,もっとも大事なことはケガをしないことです。毎日台所に立って,きょうもケガをしないぞと言い聞かせながら野菜を刻むわけです。さてそれできょうの画像はゴボウのささがき。混ぜご飯などにはゴボウが不可欠なわけですが,輪切りにすると今ひとつ混ざる具合がよくない感じもしていて,ささがきになるわけです。ふつうはゴボウを左手に持って,右手の包丁の刃先を下に向けてゴボウに当てて,ささがきにして水の中に落としていくわけですが,その方法は5年以上前に廃止しました。代わりに,きょうの画像のように右手で包丁を持ち刃先を斜め上向こう側に向けて,右手で持ったゴボウを,鉛筆でも削るようにしながわささがきにしています。この方がはるかに安全な感じで,また包丁がボウルやまな板に当たりませんので刃先が傷まず切れ味が低下しません。ちまちまと珪藻をいじりはじめると料理にも変化があったりするのです(画像/MWS)。
恒例の春の不眠症祭りが訪れたもよう…。なので一休み…してみたのだけれども,あんまし効果がないもよう…。23時に横になって,足がだるくなったり熱くなったり,うつらうつらとしても頭の芯が寝てくれない状態が続き,体が寝ていないのでトイレは4回。寝られたのは05時頃。それでも変な夢をみつつぼんやりと寝ている感じで5時間後には耐えきれずに起床。そしてこれでも,寝られた部類という状況。脳みそは惚け中年という感じで細かい仕事はできません。仕方なくレンズのメンテナンスや片づけをしているといった有様です。ほとんど末期的な症状に見えるかもしれませんが,こういった不眠症的な生活は子どもの頃からなのです。23時に布団に入り,25時から26時にやっと寝られるというのが中学生の頃のまいにちでした。なのでこれを改善しようと努力する方が時間の無駄になる可能性もあり,いーかげんに生活して乗り切っているわけですけれども,脳みそも体も動かなくなるのがしんどいですね。 それにしても不思議なのが,ふつうにあくびが出て眠いーと感じることがないこと。眠くなったから寝るという感じは,通常は生じることがなく,連続してあくびが出て眠くなると大変珍しい感じがします。そういうときに横になっても大抵は寝られませんが。眠気を感じる回路が破損している以上,上手に寝ることは難しいのかもしれません。面白くない毎日なのですが,不眠症患者にとってはふつうのことで,慣れきったしんどさでもあります。たぶんこれでも軽い方だと思います。お勤めの方などは本当に大変だと思います。 寝られないこと自体は自分の人生経験そのものなので珍しくも不思議でもありません。中学生の頃,寝袋を買ってもらい,それを数十年使いましたが,その寝袋でまともに寝られたのは2回だけという笑い話もあります。その2回はいずれも自転車で200km走ったあとでしたので,寝られたというよりも失神したという感じでしょうか。ほかは,山の上でも,バンガローの中でも,寝られたことがありません。寝られないのなら寝袋ではないので,モグリ袋とでもいえばいいでしょうか。寝られないので人に貸して人様がグーグー寝ているのを眺めていたこともあります。寝れないことが判明しているので,仕方なく,枕にして空を眺めていたこともあります。よく考えれば,自宅でもまともに熟睡できないのに,外に出てまともに寝られるわけがないのです。そのことに気づくのに数十年を要しました…。アホですね(画像/MWS)。
のらぼうを探す旅に出ました。春のわずかな期間だけ販売されるのらぼうは,五日市のふもとで育った筆者にとっては重要食糧のひとつです。中年になってから葉っぱがどんどんおいしくなってきて,「のらぼう食いて〜」といいながら,毎年,春を待っているのです。。昨年入手できた,あきる野とうきゅうには置いてなく,ヤバイ感じがしましたが我らの味方,スーパーオザムの地場ものコーナーにちゃんと置いてありました。増戸産。歩いても数十分の距離のところで,まさに地場ものです。ありがたやー。昨年よりもずっと早く伸びている印象で,来週以降は脇芽をつまんだ感じのものになりそうです。 久しぶりの出会いで小躍りしてお買い物。スーパーのかご一杯にのらぼう。これを蒸らさないように,フジヤカメラの手提げ袋に入れて紙で巻き巻きして輸送。肉や魚は氷温輸送すれば大して鮮度は落ちずに日持ちしますが,芽を食べるような葉物の野菜は時間当たりの味の変化が大きく,可能な限り早く処理しなければなりません。持ち帰ったのらぼうは,かもめちくわ,ブナシメジ,油揚げと一緒に酒,しょうゆで蒸し炒めにして一品。あとは茹でて水を絞り素材として利用。これで今年の春の課題を一つ解決です。のらぼう,うまいですよ。ちょうど今が旬です(画像/MWS)。
本ページをご覧の方であれば,暗視野法の威力は説明するまでもないと思います。明視野ではコントラストが低くて視認しにくい物体が,暗視野コンデンサをつけるだけでくっきり鮮明に見えるようになります。ただし散乱光を拾っているわけなので物体の輪郭はよくみえますが,つぶれてしまう構造もあります。そういった限界を知った上で使えばじつに有用なものです。Jシリーズの検鏡では低NA対物レンズに高NAの暗視野コンデンサで珪藻の色を楽しむということもできますし,高NA対物レンズに高NA暗視野コンデンサで輪帯照明(明視野)にして微細構造の強調を狙うという使い方もできます。この配置では,要するにコンデンサの中央をふさいで周辺からリング状に光を入れるので,その対物レンズで解像できる限界付近のコントラストがあがります。 そういった数々の有用な使い方ができる暗視野コンデンサも,出先の研究機関や教育機関で見かけることはまずありません。もちろん手作りの暗視野コンデンサを見かけることもなく,位相差コンデンサの簡易暗視野法を知っている人が少数おられるくらいな感じです。そうなっている原因は,単に暗視野コンデンサ(法)を知らないということだろうと思います。なぜなら,そこの研究室の顕微鏡に暗視野コンデンサをセットして見せると,皆一様に驚き,喜び,そして購入するに至るからです。単に未体験だったということです。 でももったいないですよね。顕微鏡は光の当て方でいろいろなことができる装置なのですが,それを勉強せずにいると,ただ明視野でコンデンサを開け閉めしておしまいの,退屈な機器になってしまいます。ちょっとでよいので顕微鏡の本でもみて,面白そうなコントラスト法は片っ端から試してみるくらいのことは,一度はやったほうがよいと思うのです。顕微鏡の販売代理店の方に,「暗視野コンデンサ,年に1個出るかでないかくらいでしょ?」と聞いてみたところ,「どんぴしゃ」という答えが返ってきました。そこの販売エリアには少なく見ても数千台の研究用顕微鏡が存在していそうですが,この安くて効果的な照明装置は,なかなか認識してもらえないようです(画像/MWS)。
これはニコンS型顕微鏡の照明部分に差し込んで使うストロボ照明装置。この装置の後ろ側の差し込み口には通常の6V30Wタングステン電球ソケットがつくようになっていて,その電球でケーラー照明を行いつつも,中央付近のスロットに差し込んでセットしたキセノン放電管で,ケーラー照明の配置でストロボ発光ができるという代物。コレクタレンズを何段も仕込んだ上で瞳の伝送も正確に行わなければいけないので凝った設計になっています。ざんねんながらストロボの手持ちがないので,キセノン管を使って自作しなければいけいのですが,まだやっていません。塗装も立派で傷みもなく,ホント日本光学は立派なものを作っていたなぁと感心します(画像/MWS)。
タイヨウチュウっぽい原生生物を撮影しても,あまりに細い有軸の仮足がよく写りません(上の画像)。微分干渉や暗視野なら写りますが,明視野ではなかなか難しい対象です。しかし画像処理をすると,けっこうよく表現できたりします(下の画像)。この画像をどうやって作ったのかというと,まず上の画像のコピーを作り,その画像にガウスぼかしをかけて,両者で減算します。できあがった減算画像のヒストグラムを調節すると,ぼかした分だけの微細構造が抽出された絵ができます。次に原画のコントラストを上げます。そうしたら微細構造抽出画像と平均化します。こうした画像処理は画像全体に行っているので,新たに構造を書き加えたり特定の構造だけを消したりといったことが起きません。結果としてできあがった絵も,顕微鏡で覗いているイメージにより近く,それがパソコンの画面上で表現されています。こうした技法を試してみれば,過去に撮影して不満足だった顕微鏡写真が生き返るかもしれません。 このような画像処理を行うときに重要なことは,画像のコントラストは低くてもよいので,きちんと球面収差が最小の条件でイメージングができていることです。それができていれば,画像処理によって埋もれていた情報が浮き上がってきます。きょうの画像もコントラストは低いですが,カバーグラス水浸対物レンズを使い,補正環を適切に操作して最良の収差補正条件で撮像しています。どんな画像処理が可能になっても,光学的な知識に基づく顕微鏡の正しい操作が最優先事項であることは変わりません(画像/MWS)。
インコのねぐらがあることで有名な私鉄沿線の工業系大学で,入学式の式辞が英語で行われたというニュースが飛び込んできました。なんとも複雑な気分です。これにはどんな意味があるのでしょうか。式辞というのはこれから大学生活をはじめる若者に対して,その大学の建学の精神からはじまって,学問を究めることの大切さ,同時に心身共に健康で過ごして生長し仲間を作ることのかけがえのなさ,社会に対する責任,そしてこれからの活躍の場とその展望などについて,学長先生が語るものでしょう。それを,わざわざ聞き取りにくい,理解しにくい英語で日本人の入学生に向かって話すとは,いったい何ごとなのでしょう…という感想を個人的にはもつわけです。ニュースによれば,日本語訳が配られたとのことで,英語で式辞を述べるのであればまったく不要なはずのものを配布するという筋金のなさにも驚嘆します。 まぁ英語がまったくできない筆者が感じることですから,たぶんこちらの感覚が間違っているのだろうと思いたいです。そうならいいのですけど,式辞というのは入学生に一定の方針と覚悟を与える,それなりには意味のある教育的言辞です。それを,母国語を捨てて外国語を使い,聞き取れなかったことによる損失を生み出すわけです。損失があるからには,それを超えるメリットがなくてはならないはずで,そのメリットは何なのだろうと途方にくれるばかりです。 筆者の見解では,優れた人材や国力というのは,まずは母国語による思考の深さに基づくもので,そこから個人の人生において一つの軸を打ち立てつつそこに経験を付加していって,多様な能力が発揮されるものだろうと考えます。小学生から英語をやろうとか,話す中身も持たないのに英語の勉強ばかりいくらやったところで,人材の技術力や発想力,対応力や思考力が増加するわけではなく,むしろ時間を奪うことでマイナスの影響すらあるのではないかと想像しています。 このように書くと顔を真っ赤にして反論する人が大勢いる世の中であることは承知しています。けれども,将来国際的な人材になろうと,英語を一生懸命勉強していたら,イチローが誕生したと思いますか? グローバル化した世の中に適応するために英語を勉強していたら羽生善治が誕生したでしょうか? 世の中に認められるために英語で活動したからKITARO(喜多郎)や久石譲やスタジオジブリが誕生したのでしょうか。 むかし聞いた話でうろ覚えですが,GHQが,新幹線構想のもととなる弾丸列車計画の詳細を入手したときに,「このような優れて綿密なロジックに基づく計画が日本語でできるわけはない。英語の設計書があるはずだ。隠さずに提出せよ」と日本側に迫ったそうです。もちろんそんなものはあるはずがなく,弾丸列車も新幹線も日本語の論理と思考で設計されていたわけです。世界最古クラスの木造建築物群は日本国内に集中しており,1000年以上経過しているものもあるわけですが,それらも英語で設計されたわけではありません。 つまり母国語での徹底した思考のもとに生み出されたものが,世界中の誰もが認めるスーパースターであり,世界中で愛されるアニメ映画であり,日本に来たら一度は乗りたい輸送機関であり,世界中の人が訪問する世界最古の木造建築物群だったわけです。 別に英語を排除せよと言っているわけではありません。日本語は外国語を巧みに取り入れてしまう同化能力に優れていて,それは日本語の表現が多彩なこととも関係しているでしょう。外国語には,その母国語だけでは科学教育が成立しない場合もあって,そのような国では英語で科学の授業が行われているといいます。しかし日本語は母国語でレベルの高い科学教育が可能なことは歴史が証明しています。母国語で活動可能というのは,シームレスに深い思考をする上で,これ以上ない強みなのですから,ここをゆたかにして,誰もが母国語で科学を深く理解するように育て上げるのが教育の重要な役割であって,それが達成された暁には,誰もが認めるノーベル賞級の,サイエンスの世界に深く貢献する学者が出てくるものと確信します。つねに日本語で思考する益川敏英博士のように。 入学式の式辞を英語で行うなどというのは,母国語での思考の妨害以外の何者でもなく,言いたいメッセージが入学者の心に届くこともなく,マスコミ向けの話題づくりのパフォーマンスくらいにしかならないでしょう。この工業系大学は,中立を装いながら世論を誘導しているようなニュースキャスターを教員に迎えたり,出張先で用務を証明するために用務先で関係者の直筆サインを要する面倒な書類を創案して事務作業量を膨大に増加させたり,研究費泥棒を防ぐために現職以外の教員から誓約書を出させたりと,教育研究を停滞させかねないような不思議なことをしている印象があるのですが,今回の英語の式辞もまたおかしなもので,これを決定した責任者と実行した学長は,異常集団としかいいようがありません。こんな人がトップの大学に勤務しておられる方々の苦労がしのばれます。 一年前の信州大学入学式における山沢清人学長による式辞(朝日新聞社)を読めばわかるように,この学長は,平易な言葉で,各方面の方々に配慮を行き届かせつつ,入学生にむかって大事なことを,その言葉が心に届くように工夫をして話をしています。これこそが式辞です。この話を英語でやったなら,何の効果もなく,早く終われよと思う入学生が大量発生して時間のムダとなったことでしょう。 人に伝えること,伝わること,この大事な部分を無視した行為を行うものは,まともな教育者ではありません。大学教員は,論文が書けて研究ができれば,教育の素人でもなれる類の職種です。ほとんどの方々は,研究も教育もできる,スーパーマルチな優秀な方々ですが,たまにとんでもないのがいます。入学式の式辞を英語でやってご満悦な学長さんは,筆者の個人的な見解では,木を見て森を見ず,山も川も海も見ないで,一枚の衛星写真で地球がわかった気になっている阿呆ですね(画像/MWS)。 *1 こういう,自分ではよいことをやっていると確信しているような人が世の中や組織をぐちゃぐちゃに破壊するので要注意な感じがします。母国語をバカにする人は教育者の資格がありません。もし日本語で式辞を述べて,留学生のために多国語の翻訳を配布したのなら,それは入学者のすべての母国語を尊重しているわけで,よい教育者といえるのですが。 *2 日本語というのは英語などとは全く異なる大脳活動を必要とするらしいので(こちら),その違いを認識した上で,どうやって母国語を活用して英語と共存するのかを考えるのが,グローバル化時代の人材育成では重要な気がします。猫も杓子も英語英語と無理矢理勉強させても無駄かもしれないのです。 *3 この工業系大学には知人が数人いて,いずれもお世話になっている方々ばかりで,こういったことを書くのは申し訳ない気もします。どうかご気分を害されないようにとお祈りするしかありません。
昨日の画像と同じ倍率で,取り扱える最小サイズの珪藻を撮影するとこんな感じです…。この領域になると自由な拾い出しは不可能で,歩留まりは極端に悪化します。作業用に用いている顕微鏡対物レンズのNA(0.2)から見ても,分解能に近い大きさで照明をうまく使わないと見えないこともあり,何なのこの罰ゲームはという世界です。拾うのも難しいなら,それを置くのも困難で,さらにそれを拾って置くのも困難で,やっと置いたものを並べるのは極端に困難で,それを固定するのは恐ろしく難しいという狂気の世界です(画像/MWS)。
珪藻在庫の作成中などは,まず撮影はしません。拾った珪藻が汚れてしまうのを極力防ぐためと事故防止の観点からです。しかし透過明視野の配置なら撮影セットを組まなくても作業中の様子をマクロ撮影できることに気がついてやってみました。その結果がきょうの画像で,湧水から採取した中型程度の珪藻が拾い上げられてストックされています。この照明配置での撮影は初めてで,なかなか新鮮な絵の感じがします。画面横幅は3.8mm程度で,写っているほとんどの珪藻は0.1mm以下のサイズです(画像/MWS)。
顕微鏡でデジタルイメージングを行ったあとは,画像処理を行うことが重要です。撮ってそのままで使える絵もありますが,表現したい部分がきちんと見えるように再現すれば,よりよい絵になることが多いのです。肉眼は対数的な感度特性を持っていますが,デジタル素子はリニアな特性を持っているので,見えているものが違います。目では決して飽和していないのに,デジタル写真では飽和してしまうなどというのは日常経験するところで,目とデジタルカメラの違いが出ている現象です。これとは反対に,目では見えていないのにカメラには見えているという現象もあって,その場合は,画像処理により,目に見える階調まで画像処理してあげれば楽に目で見えるようになるので,処理が重要なのです。きょうの画像は近所の池にいたミカヅキモの仲間。上の画像は縮小のみ。下の画像は微細構造とコントラスト強調を行っています。下の画像では,もとの画像ではほとんど見ることのできない微細構造や薄い模様が可視化されています(画像/MWS)。
ヒヨドリと桜は,なんとなくそれなりの組み合わせになっていて,やっぱり下品には見えない感じがします。和のテイストというやつでしょうか。東京の桜はちょうど満開です(画像/MWS)。
近所の公園を歩いていたら日本の野鳥とは思えない変な声が聞こえたので見上げると,へんてこりんな鳥がいるではありませんか。目黒区方面ではかなり有名らしいのですが,まさか文京区にいるとは知りませんでした。はるか頭上のかなり遠いところにとまるので今まで気づかなかったのだと思います。鳥は詳しくありませんが,こいつはワカケホンセイインコでよいのでは?と思います。 それにしてもこの鳥は,日本の風景になじまない感じがします。鳥さんはわるくないのですけど,何というか,場違いな感じがします。鳥かごに入って部屋の中にいれば見映えがして可愛いだろうと想像しますが,満開の桜にとまって花をつぎつぎと食いちぎっていく姿は,あまり上品な感じがしません。ヒヨドリも桜をつつきまわして花びらを散らかしますが,これはそれほど下品に見えないのは見慣れた風景だからでしょうか。きょうの画像は追いかけ回してやっととれたもの。遠くにとまる鳥は,最低でも500mmクラスの望遠レンズが必要で,撮影しても眠い絵が多く,逆光で光の条件もわるく,歩留まりがわるいですね(画像/MWS)。