画像のご利用について   サイトマップ








以下の本は出版社の振る舞い(契約不履行等)を原因とした信頼関係の破壊を理由に,筆者の判断で絶版にしました。在庫,版面データは廃棄処分としたので入手は不可能で再版・復刊もありません。多くの方にご迷惑をお掛けしましてすみません。

絶版直後から本書に関する問い合わせが続いており,そのたびに説明をしてきました。その後,絶版から時間が経っても問い合わせが続くことが判明したので,著者として絶版に至った経緯を皆様に説明する責任があると考え,以下に記します。

ここに書くことは出版社と筆者の間に生じた個別的な事例です。この出版社は多くの優れた書籍を出版しており,それぞれの書籍について問題なく出版契約を履行している例も多数あることと想像します。ここに記す筆者と出版社との個別的な関係を,全体の問題と拡大解釈しないようお願い致します。

珪藻美術館という本は,出版社が企画して筆者がオファーを頂いた(2014年夏)ものでしたので,依頼を引き受けて制作した出版物となります(企画出版)。いわば書き下ろしです。しかもただの書き下ろしでなく,画像も撮り下ろしのものもありますし標本も出版のために特別に制作したものもあります。

書籍の執筆にとりかかると標本制作はできないので,作業時期は2015年1月〜6月程度でお願いをしていました。Jシリーズの制作時期となる秋は避けて欲しいことは,最初の執筆依頼に申し入れました。担当者の話では,7月の出版は十分可能とのことでした。担当者にとって初めての珪藻の本なので,筆者はいつものように,最高級の標本を用いて担当者に顕微鏡観察をしてもらい,珪藻に関するレクチャーを行って,さらに豊富な資料を貸し出しして,とにかくよい本ができるよう,情報提供をするとともに,担当者との信頼関係を深める努力をしました。

2015年7月に出版できるとのことなので,2014年の12月にデザイナーさんを交えて打ち合わせを行い,まずは画像データ等の引き渡しを行いました。

しかしその後,作業時期が来ても何の連絡もなく時間が経過していきました。年明けから夏前頃までという作業時期に関する申し入れは,事前の連絡なく反故にされました。その後に,「これから何とかする」という連絡が来て,また連絡が途絶えました。

2015年の8月も終わりにさしかかるころ,突然連絡が入り,これから執筆して欲しいとのこと。いつ出版するのかを聞けば,11月後半か12月とのこと。作業時間がほとんどなくなっている上に,Jシリーズ制作期間と重なり,この時点で本業ができないことによる百数十万円の損害が発生することが確定しました。

ここまで,一通の書類もなく全て口約束(+メール)で仕事が進行しました。企画書の提示もありませんでした。

その後まもなく,「依頼シート」という書面をもらいました。日付もなく,会社名も入ってない,担当者名も入っていない書類です。誰宛なのかも書いてありませんでした。その書面には,執筆して欲しい内容が箇条書きにされていました。怪訝に思いましたが,担当者との話し合いでドラフトのイメージは出来上がっていたので,その依頼シートにしたがって執筆を開始しました。

オファーをくれた編集者に恩義を感じ,全力で最良のものを納品しようというのが筆者のスタンスです。時間がなく,指示も細切れで,じつに仕事がやりにくかったですが,最高の本を作ろうと努力し,文章はもとより,画像撮影,画像処理なども自分で行いました。

著作物は指示通りに一度の遅れもなく全ての依頼事項に応え,2015年10月下旬に納品を完了しました。書籍の出版ですから,書籍完成後,通例に従って,出版社が自ら出版契約書を持参して権利関係を説明の上,両者で出版契約を取り結ぶものと筆者は想像していました。

しかしながらこの出版社は契約書を提示しませんでした。2015年12月上旬の刷り上がり見本持参時に,この出版社は契約書の存在に触れず(隠し),口頭だけで物事を進めました。したがって契約内容の詳細(権利関係など)はまったく不明なままです。書籍名,部数,出版日,支払期日,支払い方法,印税率といった基本事項についてさえ,こちらからメールで返信するよう問い合わせをして,ようやく文字にしてもらえたといった状態でした。(仕事の依頼時にも,企画書や契約に関する書類提示は一切ありませんでした。)

書籍は2015年12月10日に発行されました。

その後,この出版社は,支払期日二ヶ月前のメールを最後に連絡をしてこなくなりました。2016年4月末日の支払期日に入金はなく,債務不履行となりました。債務不履行に関する事前の説明は一切なく,沈黙したままでした。その後もこの出版社は沈黙を続け,一切の連絡のないまま支払期日から半年を過ぎました。原稿の納品から一年が過ぎ,出版からまもなく一年になろうとしていました。

この間,支払いの催促はしませんでした。

なぜなら,筆者の考える紳士的なビジネス取引では,仕事を依頼した側が期待した内容の納品物を受け取ったなら,仕事を依頼した側が仕事への評価として対価の支払いを自発的に行うべきものだからです。

印税というのは著作権使用料のことであり,著者の生み出した成果物を利用して出版社が利益をあげるために,出版社が著者に必ず支払わなければならないものです。出版された書籍の著者に対して著作権使用料を支払うことは当然の義務なので,法的にも,印税契約の場合は請求書すら不要なことになっているのです。

事務的な側面から見ても,書籍には筆者のコードが付与されており,著者買取分は印税からの差引という経理の伝票ももらっていたので(著者のコード番号も付与されている),出版社の会計システムには筆者の書籍情報が登録されていたことは明白です。刷り印税額が計上され,そこから著者買取分が差し引かれ,残額が未払い印税として計上されていたことでしょう。

出版から一年の間,印刷所やデザイナーや運送業者には支払いは済ませたことでしょう。取次からはお金を引き出したことでしょうし,年度末には販売部数と印税支払額の計算も行ったことでしょう。しかし著者にだけは黙って不払いを続けた。

こうした現状や,作業期間を勝手に変更され多大な損失を被ったこと,契約書を提示せず情報を隠してあいまいなまま取引を進めるやり方,支払期日が近づくと連絡が途絶えたという現実をあわせて考えれば,この出版社がフリーランスに対して舐めた対応をしていることは明らかであり,それ故,債務不履行についても計画的なものと筆者は判断しました。普通のフリーランスは立場的に弱いので,支払い督促が来るまでは印税不払いで相手の様子をみて,出版社内の現金保有高を調節していたものと想像されます。これは出版社が不払いを行うときにしばしば見られる手口です。

意図したかどうかはともかくとして,著者の側から見れば,「カネ? そんなに欲しいのか? 欲しいなら欲しいと言ってみろ。」「不払いに気づけば連絡してくるだろうから,それまでは払わずに黙っておこう。もし連絡がなければラッキー」という態度に見えてしまう行為をこの出版社は行ったわけです。

そればかりではありません。印税不払いというのは,『珪藻美術館』を気に入って購入し,著者を支援しようとした購買者の気持ちを踏みにじっているのです。本書を購入して感動し多くの人に勧めて下さった方々がたくさんおられます。10冊,20冊と購入して周囲に配り歩いた方々も多数いらっしゃいます。出版社は不払いを行うことにより,こういった方々の支援の気持ちが著者に伝わるのを遮断しているのです。この出版社は,著者のことよりも,購買者の気持ちよりも,社内の現金保有高を優先したわけです。

もちろん,無い袖は振れませんから,本当に現金がなく支払いができないこともあるでしょう。でも,それなら,連絡一本入れればいいのです。著者は2014年夏のオファーをもらったときから長期間,労働を継続して著作物を仕上げたわけです。労働の対価が支払えないなら,まずは謝罪の連絡を入れ,支払期日の変更を申し入れるのが相手に対する最低限の礼儀でしょう。

しかしこの出版社は沈黙したままでした。

極めて希なケースとしては,「忘れていた」「支払いミス」ということも考えられなくはありません。でも,印税支払いというのは,仕事の評価そのものです。これを本当に忘れるような会社なら,そんな会社に成果物を渡す理由はありません。一年間活躍したプロ野球選手に,年俸の支払いを忘れた球団があったか?と考えれば,「忘れる」ということの非常識さが理解されるかと思います。

筆者は,出版社の担当者が想像していた内容を遙かに超える優れた成果物を納品できたという絶対の自信があります。担当者に対して誠心誠意そして迅速に仕事を行い,出版スケジュールを乱したことも一度もありません。担当者が普通の人間なら,「これだけやってくれた著者には絶対に迷惑をかけないように,事務処理はきちんとしよう」と思うはずです。しかし担当者は,出版契約書すら作らずに,自分で起案した企画出版なのに著者への印税支払いの完了も自ら確認することはなかったわけです。これらの振る舞いが会社からの指示であり,担当者が自らの意に反して行ったことだとしても,この時点で,信頼関係の維持は不可能と感じました。

ここまで考えて,この出版社とは仕事を継続できないことを確信しました。どのように考えても『珪藻美術館』をこの出版社から出版継続する理由が存在しないと判断するに至りました。担当者の顔も二度とみたくなかったので,版権引き上げの書類を作成して,著者買取分(14万6千16円)の普通為替証書を添えて2016年11月15日に送りつけました。出版社側の連絡なき一方的な債務不履行で,その内容が著作権使用料の不払いだったので,出版社の弁解余地はなく,強制的な契約解除となりました。これにより「珪藻美術館」は絶版になりました。

契約解除にあたっては,版面データの破棄,在庫の裁断処分も命じていますので,在庫の販売は認めませんし,ほかの出版社からの再発行もありません。出版社の人間が著者とコンタクトを取ることを全て拒否していますので,今後,和解の話し合いが行われることもありません。旬報社のオファーに従って制作したこの本は,旬報社が一切の評価をしなかったことにより,筆者の気分が悪くなったので,この世から消し去るべきとの判断です。『珪藻美術館』は出版から1年弱で全てが終わりました。筆者の手元には150万〜200万円の損失だけが残りました。

以上がおおまかな経過です。細かな問題は無数にありましたがここでは触れません。



* * * * *



出版社のリクエストに誠心誠意,全力で応えて尽くしてきた筆者とは,一言でいえば相性の悪い仕事先でした。

こちらが望んでいたのは,仕事の内容を正当に評価して,当たり前に契約履行することです。

「この度は素敵な著作物を提供いただきましてありがとうございます。遅くなりましたが,御本の印税を振り込みましたのでご確認下さい。ぜひ次の機会もよろしくお願いいたします。」

「こちらこそ素敵なオファーを頂きまして感謝致します。仕事は大変でしたがこんなにきれいな本にまとめて頂いて嬉しく思っています。ぜひ次の機会は放散虫や微化石で写真集を作ってみたいです。企画が通りましたらよろしくお願い致します。」

ふつうなら,こんなやりとりになるはずです。こうすれば,たとえ出版契約書がなくて口約束だけであっても,執筆依頼(オファー)から始まった一連の仕事が完了したことを互いに確認することができ,発展的な気持ちで次の仕事に向かうことができるわけです。

筆者が怒っているのは,契約をあいまいにしたことに加え,仕事の評価・完了確認・次へのステップというビジネス上もっとも重要な部分についてこの出版社が逃げ,信頼関係をぶちこわしにしたからです。事前連絡なし・契約不履行というのは仕事を評価しなかったことと同等で信頼関係の破壊を招きます。ビジネス上,これはだけは絶対にやってはならないことです。

もし万一,手持ち現金がない場合であっても,支払期日の延長を頭を下げて申し込みに来るという,取引上とうぜんの振る舞いがあれば信頼関係は維持できます。たとえば,

「すみません。どうしてもやりくりがつかず,印税の支払いを待って欲しいということになりました。来月支払いの予定でしたが,あと半年お待ち頂くことはできませんでしょうか。」

「いいですよ。支払日について書面で示してください。その日まで待ちます。こちらも営業努力をしますので,経営改善にむけてがんばってくださいね」

といったことになったでしょう。筆者は対価を払わなかったことに怒っているのではありません。連絡もせずに契約不履行となりそのまま不払いを継続し,相手の出方をうかがった,人を舐めた態度が許せないのです。

世の中の働いている方々にわざわざ説明することではありませんが,念のために書いておけば,信頼関係の維持に必要なことは,ごく簡単なことです。

・支払期日に振り込みを完了する(契約の履行)
・著者に送金されたことを振込明細で確認する(ミスの防止)
・著者への印税計算書の送付(契約履行の確認)
・送金できないときは事前に相談して了解を取り付ける(不測の事態への誠実な対応)

たったこれだけの,誰でも簡単に守れるごくごく常識的なことです。これで一応は取引上のスジは通ります。あまりにも基本的なことなので,「忘れていました」「ミスでした」は通用しません。このくらいのことを忘れるような会社は,そもそも会社として成り立たないからです。今回の場合は,編集者が支払い(未払い)に関して連絡一本入れるだけで,版権引き上げは回避可能でした。

しかし珪藻美術館を出版した会社は,黙って不払いを継続し続け,何もしませんでした。原稿・画像データの納品後一年間以上にわたって,経費の支払いは一切なく対価の支払いも一円もなく,連絡すらしてきませんでした。ビジネスとしての取引上は考えられない非常識な振る舞いで,筆者にとっては,まともな取引先ではないことが証明されてしまいました。

仕事の依頼はきちんと行い,デザイナーの手配も問題なく,印刷所への入稿も,色校も行い,その他の出版に関する事務作業は全て滞りなく進めておきながら,著者への支払いは行わない。自社の利益になる仕事は全て的確に行い,自社の利益に寄与しない仕事は行わない。このように見える振る舞いなわけです。

出版という営為のベースには,著者と出版社(編集者)の間の信頼関係があります。オファーをくれた編集者に感謝して,可能な限りの努力をして著作物を制作し,これを出版社に託して世に問う。編集者は自分の起案した企画を実現するよう尽力した著者に感謝して滞りなく出版作業を行い,著作物が生み出した利益を関係者にきちんと分配する。こうして仕事が一回転して,互いの信頼関係は深まり,よい仕事をしたことをお互い評価して,互いを尊敬しつつ出版が継続される。出版とはそういうものです。

したがって著者への対価の支払いというのは,出版社としてはいちばん重要な仕事ともいえるわけです。対価の支払いというとお金の問題と思われがちですが,そうではなくて,互いの信頼関係を維持するために必要な,著者の仕事の評価にかかわるプロセスなのです。著者の仕事に対して感謝・誠意を表現する一方法でもあります。不払いは著者の仕事を評価しないことと同等で,著者と出版社の信頼関係を破壊するものです。仕事を依頼するときは自宅まで押しかけてきて,執筆時には大量の仕事を次々と依頼し,威勢よく密に連絡を取り合っていた担当者が,出版契約書を作成せず,支払いの段階になると連絡もせずに債務不履行となり,そのまま沈黙を継続などという振る舞いでは,信頼関係を維持できる理由がありません。

筆者は,とてもよい本に仕上げて下さった編集者を尊敬して暮らしたかったのです。しかし自社に有利なことしかしないという振る舞いにより,「尊敬させてくれなかった」のです。

旬報社は労働者の権利保護を専門分野として活動を行ってきた出版社です。賃金不払い問題への対応などの特集なども刊行している「労働者の味方」をウリにしている会社です。もしその活動が本物なら,筆者に『珪藻美術館』の仕事を依頼する際も,まず下請法についての説明を行った上で契約の確認を行い,合意を得た上で出版作業に入り,納品が済んだ段階で支払いを行い,出版が決まれば出版契約書を交わして権利関係を整理して,翌年以降は増刷分の支払い等の対応,ということになったでしょう。

しかしこの会社は実際には,オファーのときに下請法に触れることはなく,そればかりか報酬の話を一切行わず,企画書すら提示せず,社名も担当者名も日付も入っていないただの箇条書きの「依頼シート」という作業指示の書類以外は一切の書類を発行せずに「口約束」で物事を進め,書籍の出版後も出版契約書の提示がなく(隠そうとした),書籍名,価格,印税率,支払期日,支払い方法といった基本事項すら自ら提示することをせず(要求してメールに書かせた),支払期日はデータ納品から半年後という遅い設定にされ,そして一切の支払いを行わず,不払いの事前連絡,支払期限の延長申し込みもありませんでした。

こうした振る舞いによりこの出版社の素性が見えてしまいました。フリーランスを相手に舐めた対応をしていることは明らかです。契約書を作らないことで,契約条件を曖昧にして自社に有利なようなお膳立てを行い,契約の証拠がないので相手から訴訟を起こされにくいようにしているわけです。そして実際に不払いに踏み切ったのです。

出版継続のベースであるところの,著者と出版社の信頼関係は完全に破壊されたことを確信しました。このような礼儀のない相手に,宝物のような著作物を利用されてはたまったものではありません。もはや取引(出版)を継続する次元の話ではありません。連絡をとるのも不愉快だったので無催告で契約解除通知を送ったのです。

著書というのは自分の分身みたいなものです。ふつうの著者は自分の書籍を絶版にすることはまずありません。出版社は経験上そのことをよく知っています。だからこそ,著書からの売上げは自分たちの懐に入れて,著者へ払うべき印税も自分たちの懐に入れて,自分たちの給与だけは守るのでしょう。ふつうの著者は支払いを催促するばかりで,書籍を絶版にすることはないし,その方法も知らないので,出版社は安心して不払いができます。日本の法律では債務不履行で逮捕されることはないので,支払い請求を無視していればいいのです。

筆者が行った行為(版権引き上げ,版面データ廃棄)は,著作権法を根拠に,出版社から自分の分身である著作物を奪い返し,自分の手で殺め,出版社に二度と利用できないようにするためのものです。著作権法の段階で処理しないと民法の適用範囲になり契約解除が困難になることがあります。こうなると泥沼です。その場合,この最低限の礼儀もない出版社に今後も利益を提供することになってしまいます。

契約解除には怒りを伝える意味もあります。自分たちがどれほど礼儀のない,卑劣なことをしたのか,たぶんわかっていないでしょう。出版依頼から一年半,実働数ヶ月の重労働,全力を尽くして完成したベストのものを,ゴミ箱に叩きつけて放り込む。そのくらい怒っていることを伝えるには,契約解除により版権を引き上げ,版面データを出版社自らの手で廃棄させるしかありません。自分たちが手掛けた本を自ら廃棄する悲しさを味わってみろ,ということです。

『珪藻美術館』という本は出版社が企画したものなので,筆者の著作物といえども,そのレイアウトや構成には出版社(編集者)の意図が入っています。筆者はこの本を見るだけで気持ちが悪くなるので,この本をほかの出版社から再び出すことは考えられません。それで版面データを廃棄させたわけです。

それにしても,よくもまあ,これほど非礼なことができると思います。ベストを尽くした最高の仕事を納品差し上げたのに,なぜ気分が悪くならなければいけないのでしょう?

筆者はこの出版社からの印税受け取りを放棄しました。出版後,約1年間,払う気がなかったことがわかったので,それでじゅうぶんです。代わりに,著作権使用料を払わないというのがどういうことを意味するのか,労働者の権利保護を専門分野とする出版社に教えて差し上げたわけです。

ほんとうは著作権使用料を払う気がない出版社というのは,正確にいえば出版社ではありません。出版社とは,著作物を利用して収益を上げ,著作権使用料金に相当する利益を著作者等に配分する事業体のことだからです。

著作権使用料を著作者に支払わない会社は,出版社ではないのですから,そのような会社からは著作物を引き上げて利用させないのが,著作権法上は正しい選択です。著者から一方的に労働を奪い取り,支払いをせずに相手の出方を窺うような汚らしい人(会社)とは仕事はできません。仕事の中身を評価して,それにふさわしい対価を「自発的に」喜んで支払う出版社と仕事をしたい。それが筆者のポリシーです。



*****



書籍自体はとてもよいものでした。このページの最後の方でも示しているように,出版間もなくamazon生物カテゴリー1位になり,通販での売上げは順調でした。新聞各社でも社会面,環境面,読書欄で採り上げられました(毎日新聞夕刊,聖教新聞,北海道新聞,しんぶん赤旗,朝日中高生新聞)。科学雑誌や学会誌でも,各界の著名な方々から書評を頂きました(日経サイエンス,雑誌『化学』,日本プランクトン学会報,日本生物教育学会誌)。

他にも主なところで紀伊国屋書店基本図書通信,全国の教育機関で推薦図書,大日本印刷カレンダーコンペ,本の雑誌2017年1月号 などで採り上げられたほか,朝日小学生新聞(4万2千部)では『珪藻美術館』の特集記事を一週間にわたって連載の予定でした(絶版にしたことにより,『珪藻』の特集記事に切り換えられました)。

博物館では岩国ミクロ科学館,国立科学博物館では展示,ショップでご利用頂き,静岡科学館企画展,多摩六都科学館企画展では標本の実物展示と一緒に当該書籍を展示し,ミュージアムショップで販売の計画でした。出版が継続されていれば,筆者が2018年1月に出演したNHKの番組(所さん,大変ですよ)でも紹介することができ,全国の数多くの方々に珪藻の魅力を伝えることができたはずでした。

著者としても,人生を賭けて制作した世界唯一のオリジナリティーに富む一冊でしたから,各方面から評価を頂いたことに関してはとても有り難く思いました。

その好評な書籍を,著者の一存で絶版にしてしまい,これから入手しようと思っていた多くの人にご迷惑をかけてしまったこと。そして今なお迷惑をかけ続けていることについては,本当に心苦しく,お詫び申し上げるほかはありません。

多くの方々が本書を推薦してくれて,書評を書いて頂き,販売促進に努めてくれました。その方々のご努力に対しても,大変ご迷惑をお掛けすることになってしまいました。お詫びの申し上げようもないのですが,本当にすみません。

たくさんの方々にお買い求め頂きました。中には複数お買い求め頂いた方も多く,10冊,20冊とまとめ買いをして頂いた方々もおられます。皆様のご支援の気持ちを受け取ることができなかったのは本当に悩ましく苦しいことでした。しかしお気持ちはしっかり受け取っているつもりです。皆様に心より感謝致します。

それにしても,世の中には本当にどうにもならないことがあるのだと実感しました。自著の版権引き上げ,版面廃棄,絶版というのはとてつもなく重い判断です。できればそんなことはしたくなかったのです。多くの方々にご迷惑をお掛けすることになってしまうのは解っていましたし,筆者自身は仕事的(金銭的)には損失以外の何者でもありません。著作権法上は版権引き上げは法律上正当な対応ですが,購買者,業界など幅広い視点で考えれば,版権引き上げが今回の事象について最善の対応であったとは思っておりません。むしろ最悪の対応だった可能性もあります。

それでも著作権法と民法を根拠に版権引き上げを行ったのは心の保護のためだったのだろうと思っています。もし最初から,印税なしの契約だったとしても,それがきちんと手続きを踏んでお互い納得した上での話だったら,筆者は喜んでサインしたことと思います。粗雑な仕事で口約束を次々と破り,最終的には仕事の評価もせずに舐めた対応をされたことが,不可逆的に筆者を怒らせたのです。舐められたことによる怒りの感情は,印税支払いで帳消しになるものではありません。督促されてあとから支払ったところで,不払いで様子をみてこちらの出方を窺った事実は消えません。支払いの問題を超越してしまったのです。

それで究極の選択を迫られることになりました。筆者の選択は,購買者のためでもなく,珪藻研究分野のためでもなく,債権回収でもなく,自分の心のために「出版社との関係を叩き切る」でした。怒りを少しでも静めるには,それしか方法がありませんでした。

稚拙な選択だと思う方も多数いらっしゃるかと思います。その通りかもしれません。しかしこれは筆者の個性です。どうしようもありません。この個性から完全に管理された工程,作業を経て,あの珪藻が輝くJシリーズが生み出されるのです。心穏やかにこれからも仕事を続けるにはどうすることが必要か,毎日考え半年かけて出した結論です。



* 繰り返します。ここで書いたことは,筆者と出版社の個別的なことであって,出版社が全て悪だとか,そんなことを言っているのではありません。ほかの書籍では契約書を提示しているかもしれませんし,支払いも期日通りに行っているかもしれません。あるいはフリーランスは後回しで,法人客には支払いを優先的にやっているかもしれません。筆者は最悪の対応をされたのでこの出版社を切りましたが,ほかの著者は最高の出版社と思っているかもしれません。上で述べたことはあくまでも個別的な事象であって,出版社の全ての活動を否定的にとらえているわけではありません。







書籍出版のご案内


ps


書籍出版のご案内

「珪藻美術館」というタイトルの本が出版されました。Jシリーズの写真を中心とした,珪藻のふしぎな形を楽しむ本です。12月10日に配本開始しましたので,すでに一般書店には店頭に並んでおります。

タイトル:珪藻美術館
出版社: 旬報社 (2015/12/10)
単行本(ソフトカバー): 88ページ
A5判変形 並製/88頁
本体1,300円+税(1,404円)

今回,(株)旬報社さんから,珪藻を並べた標本の世界をご案内する内容の出版依頼を頂戴しました。難しい仕事ではありましたが,珪藻を知らない方々にも自然の奥深さや不思議さを見て頂ければと思い,取り組むことと致しました。編集者さん,デザイナーさんの卓抜なお仕事と,気鋭の珪藻研究者,Jシリーズユーザー様の協力もいただきまして,この度,なんとか完成にこぎ着けました。印刷所の方々にも素晴らしい仕事をしていただき,引き締まった黒(暗黒)に浮かぶ珪藻がリアルに再現されました。

印刷はきめが細かく,パソコンの画面で見るよりも精細です。ミクロワールドサービスの誇るJシリーズの輝きが,PCのモニタとは異なる次元で再現されており,現代の印刷技術を知る見本にもなるような仕上がりになっています。これまでJシリーズを入手できなかった方も,この本を手にすることで,その一端を垣間見ることができると思います。Jシリーズをお持ちの方は,手持ちの標本が収録されているか探す楽しみもありますし,珪藻標本をほかの人に説明するための資料としても好適です。

配本は印刷部数の数分の1となっていて,多くは出版社の倉庫に入ります。大型書店には確実に配本されますが,中小の書店に出回る数に限りがあります。どこの書店の店頭でも見られるわけではありません。確実に入手するために,

・お近くの書店店頭でのご注文

・amazonでの予約(こちら

をぜひとも推奨いたします。特にamazonで予約を多数入れて頂くと,amazon側が在庫を増やしてくれ,入手が容易になるかもしれないというメリットが予想されます。

この本は,珪藻という言葉を知らない・聞いたことない,という方にも楽しめるようになっています。むずかしい学問的なことは,勉強したい人が知ればいいことで,まずは珪藻の姿をパラパラと眺めるというのが,(かつての筆者がそうだったように)誰にとっても楽しめる方法です。分野を問わずどなた様にも,本書をご紹介いただけますと幸いです。もちろん,本書をお読み頂くのに,顕微鏡は必要ありません。バイオフォトもフルオフォトもニコンS型も携帯顕微鏡H型も必要ありません(笑)。

きょうの画像は,試案段階の表紙。実物はこれとは異なります。どんなふうに変わったのか,そこにどんな思惑があったのか,本をお手にとって見比べてみてください(画像/MWS)。








2015年12月26日


ps

毎日新聞の夕刊に「珪藻美術館」の記事が載りました。紙面は全国版で社会面,なかなか大きな扱いです。25日の夜にあわせてツリーの絵を広く皆様にお届けできたことになります。web版でも掲載されていて

こちら(毎日新聞社)

こちら(Yahoo! Japan)

で見ることができます。この短い記事のために2時間にわたる取材,数回のメールや電話でのやりとりを要しています。非常に丁寧なお仕事という印象で,記事の内容も筆者が伝えたことが正確,かつ上品に再現されており,プロの仕事に学ぶところが大でした。日頃,「珪藻? 何それ」という状態に遭遇しているので,その状態を少しでも減らすよう努力しているわけですが,この記事で「珪藻? 何それ?」が解消された人が少しは発生していればよいなと思っています(画像/読者提供)。








2015年12月18日


ps

17日午後は報道機関の取材対応となりました。『珪藻美術館』ご覧になった担当部局から記者さんが派遣されての取材なので,珪藻と顕微鏡についてお話しする午後となりました。とてもていねいな取材で,小さな記事を書くにもこんなに情報を集めているのかと思うと,大変な仕事だなと感じました。同時に,いろいろ耳学問できるわけで,ちょっとうらやましいとも思いました。話題が本の出版に関することでしたので,とうぜん,Jシリーズを暗視野でご覧頂きました。記者さんにどんな印象が残ったかなー,その印象が記事を作るのに役立つといいなーと思っています。

きょうの画像は,そんな話題とは関係のない,テスト封入品。こういった地道なテスト封入をおこなって,毎年1ミリでもよいので技術を高めていくように努力するのです(画像/MWS)。








2015年12月16日


ps

これは盲点だったかも…。珪藻を並べると「現代美術」になるのか。。

本ページの読者ならご存じのように,珪藻を並べたプレパラートは1800年代の中頃にはあったのです。もっとも流行したのも19世紀後半から20世紀はじめくらいではないかと思います(流通した実数の詳細はわかりませんが)。そういう意味では現代美術というよりは近代美術的な感じがします。しかし日本人の目に触れることはほとんどなかったので,その意味では,21世紀に突然あらわれたように見えるのも無理はありません。そうすると現代美術になるのか。。

本ページでは何度か申し上げましたように,筆者はじぶんのことをアーティストとは全く思っていません。珪藻は単体でもその造形が素晴らしい存在ですから,それをマウントすればアートに見えてしまいます。無傷の珪藻を汚れのないままに皆様にお届けしようと努力しているのですが,そういった努力自体がアート的なのかなぁと考えをあらためないといけないかもしれませんね。お顔とか幾何学模様のデザインなども制作しているわけですけど,あれも本人としては,絵画を届けるという気分はなくて,珪藻をお届けしている気分なのです(画像/スクリーンショット)。








2015年12月12日


ps

ps

『珪藻美術館』は大型書店などで店頭に出回り始めたようです。通勤通学経路上に大きな本屋さんがある! という方は,『珪藻美術館』の出版がネット上のまぼろしの情報ではなく,リアルな存在であることを確かめてみてください。画像1枚目は紀伊国屋書店本店の在庫。画像二枚目はジュンク堂・丸善の在庫情報です(画像/スクリーンショット)。








2015年12月11日


ps

ごめんよ。 今回ばかりはニャンコに負けるわけにはいかないんだ。



(画像/スクリーンショット)。








2015年12月10日


ps

多くの方々に『珪藻美術館』をアマゾンで予約いただきましたようで,たいへん嬉しく思っています。心より御礼申し上げます。10日から配本がはじまりまして,書店にも並び始めます。大型書店であれば来週初めくらいには店頭で見かけるようになるかもしれません。アマゾンの内部は謎なので実際にいつ頃から配達がはじまるのかわかりませんが,早めのお届けとなることを願っています。

きょうの画像もアマゾンからのスクリーンショット。Nikon1のアダプタにBR-2Aに光の鉛筆,微化石。本ページの読者で顕微鏡使いの方が『珪藻美術館』を予約したに違いなく,こういった情報をみると,しみじみうれしくなったりもするのです(画像/スクリーンショット)。








2015年12月9日


ps

ps

予約しましたー。書店へ注文しますー。などのご連絡を数件頂きまして大変嬉しく思っています。ありがとうございます。皆様による多数の予約を賜りまして,アマソンランキング1位という栄光もいただきました。まさか在庫切れはないよなと,午前中にアマゾンをチェックしたところ,きょうの画像のような画面に出くわしたというわけです。

これでもう思い残すことはありません…。三途の川の向こうに持っていくよいお土産ができました…。などという文句が浮かびつつも,いやいや仕事はこれからです。生物学というマイナーなカテゴリーですから,一時的にでも話題になってもらわないと,お先は真っ暗になってしまいます。ので,瞬間値でいいのでトップになることは,一応は想像していました。

さてここからが勝負です。日本の理科教育はおそらく故意に時間を減らされ,自然科学の奥深い,楽しい世界に案内してもらえなかった人たちが大量発生しているのです。「珪藻?何それ(つまんなさそうー)」という人が世の中にふつうです。そんな方々にも,少しでも,こりゃああ面白いや,なんじゃこりゃーという感動を,自然の中から味わって欲しいのです。本書はそれを手助けする端緒になることと思っています。

年齢も性別も文系理系も問いません。多くの方が,パラパラと見て楽しめる本になっておりますので,一人でも多くの方に手にしていただければと思います。そうして,茶色に濁った海,ぬるぬるして汚らしいと思っていた河川,それらの場所が違った風景に見えるようになったとしたら,著者としてこれに勝る喜びはないかもしれません。

国内の教育レベルを上げるのは文科省ではありません。知的好奇心に富む皆様です。『珪藻美術館』をそこいらへんに放り出しておけば,きっと誰かがぱらぱらと見て,自動的に何かの体験が行われます。そんな機会を増やすために,皆様のご協力をお願い致します(画像/スクリーンショット)。









Copyright (C) 2015 MWS MicroWorldServices All rights reserved.
(無断複製・利用を禁じます)
本ページへの無断リンクは歓迎しています(^_^)/


トップに戻る



.