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ミクロワールドサービスが顕微鏡の世界を伝えるコーナーです。
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2012年9月30日


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これは有孔虫を並べた標本の一部です。有孔虫は顕微鏡サイズの炭酸カルシウムの殻を持っている生き物です。酸には溶けてしまうので,殻を残すにはアルカリ処理を行います。すると試料に含まれる珪藻が溶けてしまいます。過酸化水素処理なら両方とも残りますが,過激にやると両方とも壊れます。マイルドにやると途方もない時間がかかります。こういう厄介なサンプル処理には,お日様の力を借りるのが良いのです。薄い過酸化水素水を時々加えながら,直射日光があたるところに一年くらい放置すれば,光化学反応により生じたOHラジカル等によって有機物の分解が進みます。日光漂白の一種です(画像/MWS)。








2012年9月29日


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すばらしい出来映えの「よくわかる 元素図鑑(PHP研究所)」について筆者がちょっとだけエラそうなことを書いたのがdoubletさんにバレてしまったので,きょうは無機化学の本を出してみました。学生の頃買い漁ったもので,無機化学の参考書として半ば趣味で読んでいたものです。どれも年代物です。これらの中では,「最新 無機化学」無機化学研究会編 廣川書店 がイチバンのお薦めです(画像では赤い背表紙の本です。改訂版の前は赤くないです)。次は「新教養無機化学」朝倉書店でしょうか。この二冊は元素の性質や反応性,用途などがまとめられていて,専門書でありながらハンドブックのような,しかし読み進められる読み物のような本です。前者は反応式が豊富で,はじめはわからなくても,一冊分の反応式をずーっと眺めていると反応の定型パターンが見えてきて,何となく元素の反応性がわかってしまうという,そういう本です。薬学関係の出版社だけあって薬効などにも触れています。

中学時代にこの廣川書店の本に出会い,はじめは毒物とか,爆発物の化学反応に興味を持って見ていたのですが,そのうちに元素の物性に興味が湧き,高等学校の頃には丸一冊何度も読み返すようになっていました。そのお陰で?元素や化合物に関する情報が自然と頭に入り,それはそれは重宝しました。この本は高校を卒業する頃に人にあげてしまい,そのうち古本屋で見つかるだろうと思っていたら,再開までにじつに20年を要したのでした。いま眺めてもいいですね。

大学では無機化学が開講されているところも多いのですが,気になることがあります。化学理論を振りかざしているような授業が多いようなのです(採用している教科書を見れば推測できます)。大多数の学生にとって,MOTとかVBTとか,シュレーディンガー方程式とかをこねくり回すことは,ある種の数学的トレーニングにはなるかもしれませんが,"無機化学"じゃないと思うのですよ。無機化学の授業なら,元素の特性を詳述して,その反応性や化合物の特性,工業・薬学への応用などを扱うべきだと思うのです。電子雲の微分方程式は忘れても,マグネシウムは下剤になるんだぞ,くらいのことは覚えておけるでしょう。生活や社会と密着した内容の授業の方が,pHを計算で求めるようなバカらしい授業よりも役にたつような気がします。大体,pHなんてのは電極突っ込んで測定するわけなので。

筆者は学生時代も無機化学大好き人間でしたので,無機化学の講義は楽しみにしていました。そうしたら,なーんにも知らない先生が出てきて,pHがどうとか,小声で自信のない講義。教科書すらトレースできていない。。あきれ果てました。総論もいい加減なら,各論はもっといい加減。何にもシラねぇなら授業準備くらいしてこいよ,という感じでした。授業は学級崩壊状態。私語だらけのサロンといった感じです。テストはひどい出題で,教員の知性の無さが露呈していたので,5分で解いて解答用紙を教卓に叩きつけて部屋を出た記憶があります(若かったね)。仲間は筆者が白紙で提出して抗議したと思ったそうです。

そういうわけで,下手な大学の講義よりも,「よくわかる 元素図鑑(PHP研究所)」をまるまる読んだ方が遙かにマシな状況があるように思います。なぜそういうことになるのかはある程度察しがつきます。「元素図鑑」のような,元素の性質,物性,用途などに触れつつ各論を展開する無機化学の授業は,本当に化学が好きな博識な人にしかできないからです。せめて大学くらいは,教壇に立つものがその学問を心から楽しんでいて欲しいものですが,現実はなかなかそうもいかないようです(画像/MWS)。



*1 無機化学の本はもっとあったはずなのですが出てこない…。本当に欲しかったのは無機化学全書でしたが学生には手が出ませんでした。図書館で拾い読みしていました。

*2 理科年表は3冊目かな。最初は小学校のとき。地震のページを読んでいたことは前に書きましたが,ほかに合金のページが面白くよく見ていました。

*3 元素の性質はどの教科書にも中途半端にしか書いてなかったので,10代の頃に,たくさんの本を積み上げて各元素の性質をまとめていたことがあります。が,収拾がつかなくなり放り出しました。今はwikipediaなどにけっこう詳しく載っていたりします。隔世の感があります。まだ若いつもりなんですが。

*4 学生の頃,元素集めをずいぶんとやりました。日電理化のSV-10に元素を詰め込みラベルをつけてニンマリしていました。C, Na, Ca, K, Mg, Al, Fe, Si, Zn, Cu, Pt, Se, Hg, Iなど…。まぁ誰でもやりたくなるんですな,こういうことは。困ったのはヨウ素。知らない間に蒸発して机の引き出しがボロボロ。筆者は小学生の頃から自宅に半畳ほどの「実験室」を持っていて,ピンポンパンデスクを実験台にいろいろ悪いことをして遊びました。そのスチール引き出しがボロボロになったのです。

*5 堅苦しい話題に飽き飽きした人は,こちらの周期律表などいかがでしょうか(^_^)。本ページの読者であれば,「それはもう見たよ」と言われちゃいそうですが。






2012年9月29日(2)


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28日午前から昼過ぎまで,光合成屋さんのトップランナーのお一人をお迎えして研究打ち合わせでした。ひじょうに経験豊富な方で参考になることが多く,あっという間に予定時間となりました。それにしても,ここ3年くらいで急に光関係者との接触が増えた気がします。筆者はピカピカ光る物に目がなく,前世がカラスだったであろうことを見抜いておられるのでしょうか。あるいは前世がカラスだった方が当室まで飛んでくるのでしょうかー(画像/MWS)。



*1 前世がカラスだったと思わせる現象がほかにもありました。あるとき,昼食後にみんなで歩いているとふと気配を感じ筆者だけ急停止しました。その瞬間,自分の両足の間にカラスの糞が落ちました。 ((((;゜Д゜))) もし歩いていたら直撃のタイミングです。周囲からは「神業だ」「どうしてわかった?」といろいろ言われましたが自分でもわかりません。しかし前世がカラスだったので現世のカラスの気分が受信できたのかもと考えるとつじつまがあいます。ちなみに,小学校一年生のときに登校時に似たことがあって,このときは左手を直撃しています。。カラスは人を目がけて糞をして遊んでいるのです。




2012年9月28日


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関東地方もようやく熱地獄から解放され涼しい日々となっています。今年の夏は長かった…。すでに7月上旬に熱性不眠モードに入りこれが9月中旬まで続きました。9月の消費電力も最高値を更新しました(239kWh,8月は253kWh)。これほどの熱地獄で多くの方が体調維持のために冷房をつけても大停電が起きなかったわけですから,原発イヤなら電気使うなと言っていたあの連中は何を信じていたんでしょうねぇ。。 とグチのひとつもこぼしたくなるわけです。それにしても7月からずっと暑い夏だったので,日射は多かったわけです。それが何を意味するのかというと,植物がたくさんエネルギーをもらって,日本列島に化学エネルギーがたくさん蓄積した,ということです。画像二枚目を見て下さい。今年のコメはうまそうですよ(画像/MWS)。



*1 でも床屋さんの話によれば,サトイモはだめかもしれない,とのこと。確かにあの葉,茎の水分含量から見れば,降水が少なすぎてつらかったでしょうね。都内でも,街路樹のツツジなどが真っ赤に枯れているのを見かけます。むかしそうだったように,昼はかーっと暑くて,夕方になるとバリバリ雷が落ちてきて,夜には涼しくなる楽しい日本の夏は,もうやってこないのでしょうか。




2012年9月27日


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これは反射回折格子です。ガラス面にアルミニウムが蒸着されており,その表面には規則正しい線がひかれていて,光が当たると回折現象によりスペクトルに分解されます。照明光に対して傾きを変えるとスペクトルの波長が連続的に変化します。眺めていてもじつに不思議で,きれいなものです。この回折格子は日立の分光光度計とパーキンエルマーの原子吸光光度計から取り外したものです。分光器が廃棄されたら,その中身は宝の山なのですから,許可をとってせっせと分解したものです。ミラーやレンズや回折格子,立派な台座,いろいろなものが採取できます。個人的には,こういった機器を嬉々として分解している先生方は学識も深く,研究を心底楽しんでおられる方々に見えます。何より,機器をブラックボックスとして使うことなく,内部の構造を理解した上で活用できるわけですから,分解大好きな先生方が出すデータは「質」が違うのです (画像/MWS)。



*1 ここに書いたことは個人的な感想です。例外もたくさんあります。たとえば筆者は何かが捨ててあるとついつい分解したくなる,単なるジャンク大好き貧乏人間です。小学生のとき,近所のゴミ捨て場からモーターを拾ったりラジオを拾ったりした楽しみが忘れられません。ワハハ。




2012年9月26日


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いちばん新しく調製した珪藻試料から拾い出した珪藻は,封入剤の浸透がこれまでよりも早い感じがします。表面の濡れ性に変化が出ているようです。珪藻試料を作るときに使う「水」に原因があるような気がしています。物質の表面では何が起きているかわからず,手探りと推測が主になりがちな世界です。うまく原因追及できれば歩留まりアップにつながりますが,解明できなければ時間のムダになりますので,そのバランスをどうするかが難しいところです(画像/MWS)。








2012年9月25日


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先の理科教育を論じた文章(9月13日付け)の中で筆者は,

文部科学省の中には,理科に憎悪を持つ,自分だけ仕事した気になりたい役人がいて,「あの改訂はオレがやった」という手応えを感じるためだけに,無意味な作文と理由付けをしてカリキュラムをいじり回し,理科を減らし続けてきたとしか思えません。あるいは,高品質な工業製品を世界に供給する日本の国力を根底から衰退させるために,文部科学省やその関連の委員会にスパイが入り込んで,数十年単位の計画で理科の授業時間数を減らしてきたのかもしれません。

このような異常な空想をしなければならないほどの事態だと筆者は考えます。ほかに,理科を減らしてよい合理的な説明を思いつくことができません。

と書きました。これは当てずっぽうの空想で書いたのではなく,実際に可能性としては考えられると思っているからこそ書いたものです。理科教育の時間数が削減されはじめた頃(1970年代後半)は,戦後の高度経済成長期(73年頃まで)が一段落して,米国にとって日本が貿易相手国として脅威となりはじめた頃と一致します。一貫して不平等な貿易を強いてきた米国は,あらゆる手段で自国に有利な政策を展開し始めます。その最たる物のひとつがプラザ合意(1985年)であり,もう一つがスーパー301条(1988年)でしょう。米国がこれらの経済戦争を仕掛けている最中に,日本の理科教育時間も大幅に削減されているのです。これが偶然の一致と言えるでしょうか。

こういうことを考えるのに好適な本がきょうの画像です。自分の考えを持ち政治をウオッチングしてきた人ならばだれでも,自分たちの考えがどういうわけかさっぱり政治に反映されない,という不満とあきらめを持っているでしょう。そういった方々に,たくさんのヒントをくれる本,想像していたことにある一定の根拠を与えてくれる本ではないかと思います。筆者は滅多に新刊書のベストセラーは買わないのですが,今回は,どうも自分の言いたいことがずいぶん書いてありそうだと思ったので夜中に本屋に突撃して一気読みしてしまいました。議論が粗い部分もありますが,ひとつの叩き台としては大変面白い本だという感想を持ちました。皆さんも秋の夜長にいかがでしょうか(画像/MWS)。








2012年9月24日


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これは海産のニッチア属珪藻の一種です。Nikon1 J1によるもので等倍切り出しのみの画像です。対物レンズ,コンデンサ油浸,緑色単色照明で微細構造を狙っています。ひじょうに細かい点紋列があり,これはきのうのヒシガタケイソウよりも場所よっては細かいようです。これ以上細かい構造を撮影しようとするなら,照明光の波長を短くして,またバンド幅も狭くする必要が出てきます。さらに撮像素子もモノクロの方が効率がよくなります。そのような工夫を行えば,この画像で見えていない構造が検出できるようになってきます(画像/MWS)。








2012年9月23日


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これはFrustulia vurgarisという淡水の珪藻です。ヒシガタケイソウ属の一種で,繊細な点紋列と末端部分のデザインが好みです。検鏡はなかなか難しくて,筆者も最初のころはこの珪藻の点紋を写し出すのに苦労した覚えがあります。この珪藻はOTW-01にたくさん入っています。文京区内の道路脇の水たまりから採取した試料を処理したものですが,なぜ,このどこの河川ともつながりのない水たまりにこのような珪藻がいるのか不思議です。なお,きょうの画像もNikon1 J1によるもので,画像処理は縮小と引き締めだけを行っています(画像/MWS)。








2012年9月22日


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海のサンプルを検鏡していると,ひじょうに薄い,コントラストのほとんどない薄片を認めることがあります。多くの場合,雲母の破片だったりしますが,きょうの画像のような珪藻の破片のこともあります。あまりにも薄くてよく見ていないと見逃すほどです。この破片はリゾソレニア属の珪藻のものです。両端が尖った長い筒のような姿のこの珪藻は,被殻がひじょうに薄く,とても細胞を保護しているようには思えません。むしろ,可能な限りの軽さを追求したようなデザインです。高分解能の検鏡を行うと,電子顕微鏡サイズの細かいメッシュが見られます。きわめて薄い被殻なのに,さらに肉抜きがしてあるという恐るべき構造です。珪藻にとってケイ酸とは,厚く重合させれば耐久性に富み,薄く重合させればプカプカと海に浮くという,環境に合わせて形態形成を行える便利な材料なのかもしれません(画像/MWS)。








2012年9月21日


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これはNikon 1 J1で撮影したThalassiosira rotulaと思われる珪藻です。和名ではニセコアミケイソウ属の一種ということになります。緑色光でモノクロモードを使用しています。油浸での適切な照明法の効果もあって,電子顕微鏡レベルに近い構造も何とか再現できています。しかしながら画像のざらつきはどうしようもなく,最新のカメラでありながら品のない感じの仕上がりです。カラーのCMOSで単色光撮影を行うと,有効になる画素数が減ってしまうのでどうしてもノイズが目立ちます。やはりモノクロでの高分解能検鏡はモノクロCCD/CMOSに軍配があがるように思われます。もちろん,強い無効拡大を行って撮影し粒状性が目立たなくなるまで縮小するという手もあるのですけど,それでは画素数の少ないモノクロ素子を使っているのと同じことで,1,000万画素のメリットが吹き飛びます。どこかのメーカさん,1000万画素クラスのモノクロCマウントUSBカメラを作ってくれませんかね。3000万画素クラスのフルサイズカメラでもいいです。お願いします…(画像/MWS)。








2012年9月20日


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19日の日没寸前に鮮明な虹が出現しました。その明るさと縦に立ち上がる姿の美しさは筆者の虹人生でも上位にランキングされるものでした。日没直前のためか,黄色〜赤色がひじょうに強く,なかなか見られない色彩でした。アレキサンダーの暗帯ははっきりしていて副虹も出ていましたが過剰虹は目視では見えませんでした。虹はいろいろ変化に富み,一つとして同じものがないようにも思えます。次はどんな虹が見えるのか楽しみです(画像/MWS)。








2012年9月19日


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Nikon1 J1で一時間ほど油浸検鏡での撮影を行いました。主にKMR-01を用いて,細かな構造をもつ種を狙ってみました。画像はスケレトネマの一種で,なかなか見えない連接糸の部分が一応は再現できています。しかし不思議なことに,鏡筒長が5ミリほど変化しています(短い)。このくらいの差はよほどうるさいことを言わなければ大丈夫なのですが,たとえ5ミリでも極限のイメージングを行うと,球面収差が生じているのがわかってしまうので,何らかの方法で解決しなければなりません。ふと思いつきで試した油浸撮影でしたが,一つ解決すべき課題が見つかり幸運でした(画像/MWS)。








2012年9月18日


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連休ののんびりとした過ごし方の一つとして,書店まで徒歩で出向きました。まだ都内はあついので,夕方に日が傾いてから,神保町まで往復です。日頃は運動不足も甚だしく,このままでは,そのうちに足が鈍って心臓が弱って血管がふさがって心筋梗塞か脳血栓,というお決まりのコースになってしまいます。それで毎晩一時間弱くらい歩いてはいたのですが,都内は暑すぎて運動になっているんだか健康を害しているのだか,まったく不明な気分です…。

で,神保町では無事に『第9・光の鉛筆』を見つけることができました。この本,一ヶ月前に出ていたのですが,どこの本屋にも入荷していません。ネットでは購入できますが,そんなことをしていると本との出会いがなくなり,ただでさえ偏った悪い頭がさらに悪化します。なので店頭で見つかるまで探すと決め込んで,8月から何度も本屋を攻めていたわけです。見つけたのは書泉グランデで,この本屋には8月にも入荷があったのですが,筆者が走って出向いたところ,タッチの差で売れていました。一冊だけ引っこ抜かれた跡がありましたから。。そういうわけで再挑戦の書泉グランデでしたが,ちゃんと入荷していました。三省堂にも紀伊国屋にもジュンク堂にもないのに,ここには入るのです。不思議な本屋です。

『光の鉛筆』につきましては本欄でも何度か紹介したのでご存じの方も多いと思います。日本の応用光学史上で,もっとも大切な宝物のような本です。この驚異的な情報量の本が,1冊たった6千円程度で購入できるのですから,こんなに有り難いことはありません。筆者は光学技術者ではありませんが,筆者が製作する珪藻を用いた分解能検査板や,蛍光顕微鏡の検査板などは光学製品です。応用光学の一分野としての顕微鏡光学の知識は,可能な限り吸収したいと思っています(画像/MWS)。



もっとも,光の鉛筆で理解できる項目はそれほど多くはありません。微分方程式の連続するページは目が回ります。Maxwell方程式など,どうしても扱えません。しかし結論は理解できることも多いので何度も読んでいます。筆者にとってよい本とは,読んでもそれほどわからない,しかし繰り返し読むことにより新しい知識が獲得できる,そういうものです。ですから,一読して理解できない本を喜んで買います。新しい何かがそこにはあるからです。




2012年9月17日


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みなさん,この本は買いです!  というのがきょうの画像です。「元素(げんそ)」と聞くだけで化学は苦手…などと思ってしまう人でも,筆者のような,この本に書いてあることの半分くらいは知っているような化学好きな人でも,誰にでもオススメです。この本を読めば元素に関する知識も得られますので,元素に関して親しみがわき,興味も出てくるものと思います。写真も美しく,説明は平易で,それでいて著者らの個性が出ているので,読む楽しさと価値がグンと跳ね上がります。

この本の素晴らしさは一読すればわかるので細かい解説はしませんが,大局的な観点から言えば,「経験から生まれた書」であるということです。筆者にはそのように読めます。「元素図鑑」のようなものは,その気になれば頭の良い学者が,既存の文献を切り貼りして,都合の良い画像を集めてきて製作することは難しくありません。しかし,そのような,「机上の作業」によって書かれた本は浅薄で,人の心に届かないのです。

その点,この本は筋金入りです。元素や化合物はすべて著者らが撮影しています。画像二枚目の穴虫のサファイヤ,これは著者が自分で取りだしたもののように見えます。画像三枚目の方解石,グラントムソンプリズム,これは著者の所有物のように見えます。これらのように,著者らが日頃の仕事の中で取り扱ってきた経験が生きているので,この本はありきたりの教科書を読むような「つまらなさ」が皆無で,著者の個性に触れることができます。

文章についても同じです。「ナトリウム」の項目を読めば,「もんじゅ」に使われている液体ナトリウムについての記述があります。一般の方々は,冷却剤として液体ナトリウムを使うと聞いても,「ふーん」という感想を持つ方が多いかもしれません。しかし化学屋さんで少しでも金属ナトリウムで実験/研究/遊んだ経験のある方ならば,それがどれほど困難で危険をはらむものなのかを知っています。その辺りのことを,さらっとニュアンスで浮かび上がらせるなど,なかなかニクイと感じさせます。著者の個性が出ている部分です。

宇宙が元素で構成されており,すべての人が元素で構成されており,また元素を上手に使いながら生活しているわけですから,この本で得られる知識はいま現実に生きている世界の解釈に直接役にたつことになります。この本をきっかけに,いろいろな分野の勉強が面白くなるかもしれません。それは収録されている写真が多様で,インスピレーションに富むためです。

そういうわけでこの本は文句なくお薦めなのですが,今後の改訂版のために,少しだけ注文をつけておきます。それは,参考文献の少なさです。この本は幅広い年齢層が手にすると思いますので,次のステップとなる教科書が記されていても良いでしょう。日本でまともな無機化学の教科書は少ないと思っていますが,それぞれの元素について十分な知識を得るために,いくつかの専門書を掲げてもよいかもしれないと考えます。この本の著者らは,少なくとも,『理化学辞典』,『新教養無機化学』(朝倉書店)とか,『最新 無機化学』(無機化学研究会編,廣川書店)とか,『無機化学全書』などは目を通しているでしょう。それらの全てを紹介するのは無理でしょうが,取っつきやすい無機化学や合金などの本はいくらか紹介してもよいように思います。『元素図鑑』の読者の100人に一人でも,次のステップに進んだら,それはよいことだと考えるからです(画像/MWS)。



*1 (追記9/28) 経験から生まれた書というのは本当に貴重です。筆者もそういう本を出版したことがあります。文章はもちろん,作図,写真,文献,索引,すべての作業をこなしました(もちろん凄腕編集者の力添えがあってこそですが)。引用の切り貼りなど一切せず,記述にはすべて自分の経験を盛り込んで自分の言葉で説明しました。だからわかるのですが,この「元素図鑑」は,何かとてつもない巨大な力に導かれて成し遂げた希有な作品です。ふつうはできませんよ,こんな作業は。




2012年9月16日


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きのう掲載した珪藻はAmphitetras antediluvianaという学名の種で,海の浅いところで小石や砂利があるような底質からみつかります。きのうの画像では全体的な概観だけですが,この珪藻には上の画像で示したような微細構造があります。この構造は小さく,並の技量ではまったくイメージングすることができませんが,可能な限り高分解能を追求すれば光学顕微鏡でも撮像できます。Jシリーズにはこの珪藻を入れたものも多いので,読者のお手元にもあるかもしれません。もし,この構造を写せたら,並の学者を凌駕するレベルのテクニックを持っていると思ってもいいのではないかと思います。ぜひ挑戦して下さい(画像/MWS)。



珪藻を専門に研究している先生方は微細構造を見るのに電子顕微鏡を使うので,光学顕微鏡で見えを追求しようとする人が少ないように感じられます。電子顕微鏡ではじめて見えるものと,光学顕微鏡でも見えるものの境界ははっきりしていません。電子顕微鏡を使わなくても見えるのであれば,多くの人に観察機会が開かれるわけで,光学顕微鏡での見えを追求する取り組みは無駄なことではないと筆者は考えています。




2012年9月15日


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珪藻は薄っぺらいものから,ドラム缶みたいに厚みのあるものまで様々です。なので被殻を正面から見ただけでは,その珪藻の立体構造はほとんどわかりません。顕微鏡でピントを送ってみても,厚みに関する情報は得られますが,側面の構造に関する情報は得にくいのが実際のところです。きょうの画像はそんな一例で,正面から見た姿からは,この珪藻の側面の姿はわからないと思います(画像/MWS)。








2012年9月14日


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筆者が顕微鏡に詳しくなったきっかけは,偏斜照明にあります。若かりし頃に顕微鏡の勉強を始めた頃,顕微鏡の本に「偏斜照明を行うと分解能が2倍になる」と書いてありました。そして,それとは別の部分に,顕微鏡の分解能は0.2μmが限界である,と書かれていました。それで頭が混乱したのです。とても不親切な記述で,いま見れば理解が不十分なままごまかして書かれた典型的な文章のようにも思います。

顕微鏡の分解能は0.2μmが限界であるのに,偏斜照明を行うと分解能が2倍になるのなら,0.1μmまで見えるようになるはずです。それとも,偏斜照明を行ったときの分解能の限界が0.2μmで,ふつうの照明法ではもっと大きなものしか見えないのか。あいまいな文章からは何もわかりません。それでこの問題に決着をつけようと,図書館にこもって顕微鏡のことが書いてある本を片端から手にとって調べたのでした。その結果,顕微鏡のいろいろなことを知ることができましたが,偏斜照明の問題については決着をつけることができませんでした。どの本にも,確定的,定量的なことは何も書いてなかったからです。困りました。困ったまま何年も経過しました。

あるとき,ネット上で工科系大学の先生が書かれた顕微鏡関係の文章を読んでいると,面白そうな光学書が紹介されていました。『光の鉛筆』です。さっそく,出版されているものを全て買い,夢中になって読みました。筆者は学のない人間で,(悪しき理科教育の弊害もあって)高等学校でも物理を学んだことはなく,応用光学など独学するには浅学もいいところです。でもこの本なら何かが書いてありそうだと,何度も読みました。

すると,この本に書いてあるアッベの結像論と,MTF曲線の概念を理解することにより,偏斜照明に関する疑問は氷解することとなりました。「偏斜照明を行うと分解能が2倍になる」という記述はでたらめで,「偏斜照明を行うと,コンデンサを外した場合と比較して,分解能が2倍になる」あるいは,「偏斜照明を行うと,コンデンサを中央に一杯に絞り込んだ場合と比べて分解能が2倍になる」という表現が適切であることを理解しました。そして,「コンデンサが開放なら,分解能は偏斜照明と同等だが,結像に寄与しない光がコントラスト低下を招くので,分解能ぎりぎりの構造は見えなくなる」こともわかりました。

そして気が付けば,偏斜照明の問題を解決しようと努力したことで,いつの間にか,顕微鏡についての知識が自然に身に付いており,顕微鏡の光学系についても理解が進んでいたのでした。偏斜照明というのは,一般検鏡の立場からは教科書の片隅に書かれているような些細な項目なのですが,珪藻を検鏡している筆者にとっては重大な関心事で,それにこだわり続けたら,最後は「いろいろなことがわかった」という結果になったのでした。

優れた知性の持ち主であれば,偏斜照明の問題を直ちに解決できるかもしれません。そこから考えると筆者のカメの歩みは,恥を告白するようでなんともこそばゆいのですが,でも何かを解決しようとするカメの勉強は,余計なことまで色々知れたという意味では,なかなか効果的だと思った次第です。

ちなみに,ネット上の工科系大学の先生も,むかしはできていた照明がいつからかできなくなって,その原因がコンデンサの扱いにあるらしい,ということに気付かれて勉強したのが顕微鏡に詳しくなったきっかけだそうです。何かを解決しようと勉強を始めたという点,それが照明光学系だったという点は,筆者と同じです。その後の理解速度と数学的取扱については,筆者とはまるで違いますが。。 そういうわけなので,皆さん,疑問に思ったことは執着心をもちつつ自力解決を試みましょう。きっと良いことがあります(画像/MWS)。








2012年9月13日


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日本はとても不思議な国で,科学が爆発的な発展を遂げているまさにその最中に,一貫して科学(理科)教育を捨て続けてきました。画像一枚目には義務教育課程における理科の授業時間の変遷を掲げてあります。「団塊の世代」と言われる方々は,義務教育課程で1048時間もの「理科」の時間があり,現在では扱われることのない現象なども学ぶことができました。しかし1989年に小学校に入学する世代では,すでに一年生,二年生では理科の授業が廃止されており,三年生になるまで「理科」を学ぶことができません。家で図鑑を楽しみに読んだり,大人と自然観察して知識を蓄えている子どもたちも多いのですが,学校で理科として系統的に学ぶ機会は与えられていないのです。

低学年の理科が廃止されたのは1989年ですが,その直前にとられたアンケートの結果を画像二枚目に記しています。小学校低学年の児童たちは理科が大好きです。その大好きな理科は低学年では不要なものとされ,ばっさり切り捨てられたのです。

授業時間数が減らされたので教科書も薄くなり,例えば小学校では,一時はピーク時の半分のページ数になっています。それが画像三枚目です。このグラフの意味するところは重大です。現代では科学技術の進歩に伴って,教育すべき内容が昔より大幅に増えているのです。なのに教科書は薄くなったのです。つまり昔は数少ない項目にしっかりとページ数を割り当てることができたのに,現在では項目ばかりが増えて説明は平均的に見れば表層的になったというわけです。昔と同じ教育水準を確保するなら,理科の授業時間は増やして,教科書のページ数も増やす必要があるわけですが,それと反対のことが行われたのです。

義務教育課程での総授業時間数を見ると,理科の授業時間数だけが大きく減らされ,ほかの教科はあまり減らされてないことが読み取れます。2008年からは,小学校で少しだけ授業時間数が増やされましたが,それでもピーク時の三割減の状態です。

文部科学省の中には,理科に憎悪を持つ,自分だけ仕事した気になりたい役人がいて,「あの改訂はオレがやった」という手応えを感じるためだけに,無意味な作文と理由付けをしてカリキュラムをいじり回し,理科を減らし続けてきたとしか思えません。あるいは,高品質な工業製品を世界に供給する日本の国力を根底から衰退させるために,文部科学省やその関連の委員会にスパイが入り込んで,数十年単位の計画で理科の授業時間数を減らしてきたのかもしれません。

このような異常な空想をしなければならないほどの事態だと筆者は考えます。ほかに,理科を減らしてよい合理的な説明を思いつくことができません。

私見では,小学校低学年というのは人生でも非常に重要な時期です。この時期にたくさんの知識を吸収し忘れがたい体験などを積み重ねると,その経験がまるで暖かい太陽のようにその人を背後から照らし続けるように感じられるからです。活動の原動力が得られるようなのです。先端的な理工学の仕事・趣味をしている知人はすべて,10歳くらいまでに,何らかの体験をしていて,それが記憶に残っているといいます。ミクロワールドサービスのお客様にも,顕微鏡観察がながねんの夢だったという方々が「たくさん」おられます。

文部科学省が率先して理科離れを増加させているので,対抗策として,お家で理科にしてしまいましょう。家庭教育の範囲で,自然観察や,レンズの楽しさや,磁石の不思議さや,体験できることはたくさんあると思います。理屈の説明は求められたらすればいいので,まずは不思議なこと,面白いことがたくさんあることを経験してもらいましょう。疑問は自然に湧いてきます。それが将来の謎解きの楽しみにもつながることでしょう。人生の楽しみは多いほど,よいのです(画像/MWS)。



「理科」というのは特別な科目でも何でもありません。身のまわりの現象を根拠をもって理解する一つの方法,とでも言えばいいでしょうか。にもかかわらず,理科や自然科学を特殊なものととらえている人は多いのです。これは恐らく受験教育の弊害でしょうね。むかし母校で生物地球化学の講義を担当したら,講義もすべて終えたあとに,サイエンスカフェの出演を依頼されたので,そこではおいしい水の話をさせていただきました。そこにお客さんとして来ていた学生の方が,もっと話を聞きたいのでサイエンス飲み会を開くので,来て下さいと言われ,いくつかの大学の混成メンバーと会社員などの方々と飲み会となりました。そこでも,「サイエンスというのは解釈の方法の一つであって,特別なものでも何でもなく,一人一人の個人の役に立つもので,まぁサイエンス=生活と思ってもいいくらいだよ。何ならこの鍋の中で起きていることについてサイエンス的に解説しましょーか。目の前のことが解釈できた方が生きていて楽しいだろ」といつも通りの調子でお話ししていました。するとトップレベルの私学の経済学部の学生が,「僕はきょうまでサイエンスは暗記科目だと思っていました」と告白してくれました。生物学など,教科書を読んでは暗記していたそうです。何とまぁ可哀想なことでしょう。

人間,どんなことでも理解できるということは喜びにつながるものです。ある文科系大学で環境論を講じていたときも,先生の授業は理系の大学の講義みたいで新しいことがどんどんわかって楽しい,といった感想が多く寄せられました。その大学は,偏差値で言えばかなり低いところで,入試科目に理科はありません。本当に分数計算ができない人もいましたし,CHO以外の元素記号を講義で使うことはできませんでした。理科が苦手な人もたくさんいたことは間違いありません。でも,苦手と好き嫌いは別です。皆さん,興味はお持ちだったのです。ただ,テストでダメの烙印を押され,苦手意識を植えつけられただけのことです。

ちなみに,分数計算ができなくても化学式がわからなくてもどうにかなるものです。おーいお前ら携帯電話持ってるだろー。それで次の計算をしてみろー といって石油一リットルの燃焼熱を計算させたり,適当な時間で燃焼すればそれは何ワットになるかを計算させたりしていました。算数の授業じゃないのですから,計算能力を試す必要はありません。元素記号がわからないなら,チッソ,リン,カリウムなどとと書けば良いのです。

画像1,2枚目は『理科離れの真相 (ASAHI NEWS SHOP) [新書]』という本からの引用です。画像3枚目は越桐國雄先生の論文(こちら)からの引用です。

このようなお寒い状況なのですから,「原子力は絶対安全」を信じ込ませることは簡単だったでしょう。実際,そのような嘘と欺瞞に満ちた教育が施され,それを多くの人が「信じて」いたわけです。こういうのは教育ではなく,洗脳と呼んだ方がふさわしいと思います。

理科が一貫して減らされてきた期間中ずっと,自民党政権であったことは覚えておくべきでしょう。この期間,ダムは一貫して増えて国内に3000基近く。原発も一貫して増えて54基。建築物の規制は一貫して緩和されて高層マンションが増え続け,ヒートアイランド強度も増加し続け,道路は延び続け,国の借金も増え続け,理科の時間は減らされました。何がやりたかったんでしょうか。

すでに,理科の授業時間数が最低になった頃の世代が教員になり始めています。多くの教員は4年制大学を卒業してそのまま現場に入るわけです。文科系を専攻した方々の中には理科の知識が不足している人が非常に多く,「理科が苦手」を公言する人もおられます。小学校では理科が苦手でもわからなくても授業してしまうことができるので,ただでさえ授業時間数が少ないのに,教員のスキルも低下しているという由々しき問題が発生しやすい状況です。私見では,いちばん恐ろしいのは,教員が苦手意識を持っていると,それが児童に伝わる可能性があるということです。理科が苦手でも,理科が心から好きで,楽しく授業していると,子どもには「理科って楽しいんだなぁー」というポジティブな雰囲気が伝わります。そういう先生は大きな効果をあげることができると思います。一方,苦手でイヤイヤ授業をしてしまうと,子どもにもよい印象を残さないことになりかねません。理科が苦手な教員の方々も,ぜひ,苦手だけど好き,という姿勢でいて欲しいものです。

それにしても,現場の先生方は振り回されて大変だと思います。こんなに少ない授業時間数では,十分な情報提供は難しく,教える側としても不満をお持ちのことと拝察します。それでも文科省がカリキュラムを決めれば,それに従わなければならないのですから,理不尽というものです。

(追記) 読者の一人から,「文化系」は文科系の誤植ではないか,というご指摘をいただきました。まさにその通りで,変換ミスに気付かずそのまま掲載してしまいました。教育論議の文章でこのような初歩的なミスをしてしまうと説得力が著しく低下してしまいます…。さっそく訂正させていただきました。ご指摘下さった方,ありがとうございます。





2012年9月12日


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11日は特殊試料の引き渡しも兼ねて大学教員の訪問を受けました。非常に幅広い知識をお持ちの方で,生物体ケイ酸の続成過程について興味深い情報をお聞かせ頂きました。筆者もこの分野については関心がありますし,生物体ケイ酸を販売している身でもありますので,第一線で研究している方から直接レベルの高いお話をロスレス高速転送で聞けたことは何よりの収穫でした。分光分析にもお詳しく,「使える装置は自分で組み上げるしかない」というような内容の話は全く同感なところでした。何かの分野で最先端を走っている研究者というのは,それに関連した測定器について,自分でバラして組み立てられるような知識・経験を持っていると思っていたのですが,やはりこの先生もそのようです。予定していた話はほとんどせずに,もっぱら研究の背景や経験について情報交換し,あっというまに時間切れになってしまうという,大変楽しい時間でした(画像/MWS)。








2012年9月11日


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夏の思ひでの一コマ。

だんごが好きな方,ここのだんごは忘れがたいかもしれません。筆者はこのだんごを横目でチラ見しつつ,にせビールを飲んでいたわけですが(画像/MWS)。








2012年9月10日


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このコーナーではなるべく多くの珪藻を登場させたいわけですが,ついつい好みの珪藻や自分で拾ってマウントした珪藻を優先させてしまいます。意識的に別の種ものせていかねばと反省する次第です。きょうの画像はACN-01に入っているメインの種で,アクナンテスの仲間と思われます。相模湾東部沿岸の潮だまりを歩いていたら,高々数リットル程度の小さな潮だまりが焦げ茶色に染まっていて,これは面白そうだと歯ブラシをかけて持ち帰った試料です。処理が終わって検鏡すると,まるで花吹雪が舞うように本種の被殻が一面に見えました。なんとも風流な感じがして,密かに気に入っている一枚です。きょうの画像はNA=0.95の対物レンズで,コンデンサ絞りはNA=0.75,10倍接眼レンズを用いたコリメート法です。条線の間に孔が並んでいるのがわかります。液浸系対物レンズを使えばもっとはっきりと確認できます(画像/MWS)。








2012年9月9日


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広い範囲を均一に照明するのはむずかしいものです。これは,珪藻や海綿骨針,放散虫などを並べたプレパラートですが,標本が並んでいる範囲だけでも1mm以上あります。このくらいひろい範囲を均一に照明するためには,それだけ均一に面発光する光源が欲しいところですが,そのような都合のよいものはないので,適当にデフォーカスして,拡散板を要所に配置して調節します。見た目ではかなり均一にできますが,画像にするとわかってしまいます。きょうの画像でも,中央部が明るく周辺が暗いのが判別できます。背景の輝度を可能な限り均一にしたいときには,物体のない背景画像を取得し,減算を行います。そうるると照明ムラが著しく軽減します。なお照明ムラの原因は光源だけでなく,照明系の設計,拡散板の性質,結像系の特性にも左右されます(画像/MWS)。








2012年9月8日


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これは,鉱物を円形に,ランダムに並べたものです。鉱物は川砂と土から採取しています。Jシリーズの技術を用いて,カバーグラスに密着するように並べているので,高NAの検鏡でも問題なく良い像を結びます。これらの鉱物はいっけんすると透明な結晶という感じですが,よくみれば偏光特性も異なり,色も違い,透明度も違い,インクルージョンも異なります。同じような鉱物が並んでいる割りには,飽きずに検鏡できる感じです。このような標本を製作中は,実際,どのように見えるかはわからないので,製作後に検鏡するとほっとします(画像/MWS)。








2012年9月7日


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顕微鏡の観察像は,対物レンズの性能を伝えつつも,無効拡大でボケた像にならないような拡大率に設定されています。このため,その対物レンズで分解できる限界付近の像を見ようとすると,肉眼の分解能付近に近いサイズ(微細構造)を見ようとすることになります。それは目の25センチメートル前方にある0.1ミリメートルの構造に近いくらいの小ささです。しかもその構造は大抵,低コントラストですから,ぱっと見ても気づきません。コントラストをつけようとコンデンサを絞れば,対物レンズの分解能は低下します。コンデンサを開けばコントラストは低くなります。熟練顕微鏡ユーサーは,このような現象をよく把握していて,その物体に構造があるのかないのか,コンデンサを開いたままコントラストの低い像を丹念に観察します。たまにコンデンサを絞り,また開きます。絞っては開きの繰り返しで,その物体上の構造を探索していくわけです。もちろんほかにも,種々のコントラスト法を試して,微細構造の有無をチェックします。このような訓練を積み重ねると,顕微鏡というものは,自分の想像以上に細かい部分を結像していて,そしてそれが全く見えていなかった,という経験にぶち当たることになります。ブレークスルーが起きた瞬間です。

筆者がこのことを実感したのは今から10年前くらいでした。そのころも外から見れば先端的顕微鏡マニア顕微鏡使いに見えていたでしょうが,高分解能の検鏡を究めてはいなかったので,対物レンズの限界性能を知ることはありませんでした。しかしあるとき,珪藻の電子顕微鏡写真を見ていると,「この構造は光学顕微鏡でも見えるのではないか」とひらめきました。その珪藻(Diatoma)は何度も見ていましたが,微細構造を見たことはありません。しかしそのときは,たぶん寸法の縦横比からでしょうか,このくらいのピッチの周期構造なら見えるはず,と思ってしまったのです。

さあそれからは寝ても覚めても顕微鏡漬けです。最初は何をしても見えませんでした。分解能をあげるあらゆる工夫をしましたが,見えませんでした。しかし偏斜照明や偏光法などを駆使してどうにか見えるところまで持ち込むことができました。そこで初心にもどって,見えなかったころの検鏡法で見てみました。すると,こんどは見えるのです。不思議ですが本当の話です。本気で見ようとしていなかったのでしょう。むかしの筆者の目は,フシアナだったのです。フシアナを脱してから,見慣れたほかのプレパラートを見ると,これまでよりもよくみえます。目の使い方,微細構造のコントラストなど,いろいろなことがわかったのでしょう。練習の大切さを実感する想い出です。

望遠鏡の惑星観察では,初心者と熟練者では見えている構造がまったく違うことが知られています。木星など,初心者が縞2本以外は何も見えない,と訴えても,熟練者が覗けば縞が5,6本に大赤斑まで見えている,ということさえ起こり得ます。どこに何がみえるはずか,そのコントラストはどのくらい低いのか,鋭眼の持ち主がレンズの向こうから拾い上げる情報量は初心者とは比較になりません。筆者が体験したところによれば,顕微鏡も同じです(画像/MWS)。








2012年9月6日


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3,4時間の睡眠で目覚め→めずらしく朝食→メールチェック等→頭がぼーっとするので休憩→作業環境の整備→標本製作の準備→技術士さんと情報交換をしつつ昼食→文献チェック→標本収納ケースを考案/準備→標本をいじりつつ指先の確認→特殊な標本製作→標本収納→メールチェック→返信/対応→後かたづけ→メールチェック→会計書類作成→標本手配/発送→メール送信数件→特殊標本の梱包準備→宅急便(標本)の受け取り/開梱→御礼のメール→夕飯づくり→本日の画像執筆(いまここ)  という感じの一日が過ぎつつあります。きょうはいつもよりもずいぶん忙しかったのですが,それには理由があります。きょうやらなくてはいけない作業があって,その準備を着々と進めていると,その日に重なるように用件が舞い込むのです(^^)。皆さん,きっと同じですよね。

それにしても,電子メールというのは便利ですね。好きなときに受け取ることができ,空き時間に返信ができ,所要時間は短く,それでいてきちんと用件が伝えられ,漢字仮名まじり文の効果によってニュアンスもコントロールでき,さらにはwebサイトまで紹介できます。電話ではこうは行きませんものね。時代が進んで,一人がこなさなければならない作業は増える一方のような気もしますが,こんなに便利なものに助けられていると思うと,時代の良い部分を感じる気もします。お客様とのメールのやり取りは,助けられることも参考になることも多く,好きな時間の一つです(画像/MWS)。








2012年9月5日


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当サービスの保有機材は,多くが中古品を仕入れてメンテナンスして使っています。その理由はたくさんありますが,新品で揃えるとお金がいくらあっても足りない,ということは正直に告白しなければならないでしょう。しかしもっと重要な理由があって,それは,照明系に手抜きのない調整機構付きの顕微鏡が新品ではほぼ絶滅しているのです。筆者が主に検鏡している珪藻類の微細構造などは,大多数の顕微鏡ユーザーからみれば異端中の異端でしょうが,分解能にこだわる検鏡を行うのであれば,照明系が自分で調節できないことには話にならないのです。それで有限補正系(TL=160mm)の機材をメインに使用しています。無限遠補正系も所有していますが,鏡基とランプハウスが粗悪なおもちゃのようで,とても研究用には使い物になりません。

こういった理由で,対物レンズも160mm鏡筒長のものを集めることになります。珪藻検鏡では,水封プレパラートか封入プレパラートを覗くことになるわけですが,前者はメディアの屈折率が1.33,後者はたとえばプルーラックスで屈折率1.7程度です。ところが,ふつうの油浸対物レンズは封入剤の屈折率が1.516付近を想定して設計されていますので,水封プレパラートは少しでも水に沈んでいれば甚大な収差が発生してよくみえません。封入プレパラートについても同様です。すると,封入剤の屈折率にあわせた設計のレンズが必要になり,そのようなものを探し求めて購入することになります。

幸いなことに,現代では中古市場は地球規模で広がっているので,求めるものに出会えることもあります。きょうの画像は夢にまでみた補正環付き液浸系レンズで,ここ半年程度でようやく出会えたものです。両方とも故障品でしたが,分解修理に成功し,販売価格から考えれば比較的安価に入手できたものです。本来なら研究者としての駆け出しの頃に科研費等で購入すべきものでしょうが,予算の使途制限や欲しいものが売っていないといった理由により,必要と思ってから入手まで20年を費やしてしまいました。まぁそれでも,20年遅れで,当時やりたかったことができるのは悪くない気分です。自己所有ですから,このレンズの寿命は筆者がメンテナンスする限り生き続けて,驚異の世界をイメージングしてくれるはずです(画像/MWS)。



*1 定価で購入するなら,この2本でD800Eが5台は買えるでしょうかね。物価を加味すれば10台以上でしょうか。このレンズは少なくともベルリンの壁が崩壊するよりも前のものなのです。

*2 研究機関在籍中も,顕微鏡は自費で購入して使っていました。研究費の使途制限が厳しく,備品の購入が認められないという条件の中で,それでも目的の研究をしろというのですから困ったものです。在籍していた研究所に何でも揃っていたのならいいのですが,カビにまみれた古い偏光顕微鏡が転がっていただけでまったく使いものになりませんでした。それで仕方なくニコンS型で細々と研究し,どうしても暗視野検鏡に不満があったので,高級機の中古を4台購入し,先輩からは1台もらい,それを全てばらして一台を作り,バックアップ2台を作って研究していました。もちろん,顕微鏡をばらして組み立てるのも,勤務時間内にやらせてもらいました。バックアップの1台はは自宅に置き,常磐線に揺られる時間以外は顕微鏡のことを考えられるような環境整備をしました。いま振り返っても,効果的な作戦で,ひじょうに勉強になりました。

科学研究費補助金とは,多くの人が勘違いしているのですが,「補助金」なのです。そこに私財を注ぎ込んでも一向に問題ありません。自分でやろうと思っていることに自分で取り組むという確固たる意志があり,そこに研究費を「補助」してもらうのです。ある先生に聞いた話では,英国のある助成金は,その助成金だけですべてが行われるような申請書は採択されないそうです。「オマエは何をやりたいんだ。どこまで進んでいるのか? 私たちはそのオマエの研究を補助するんだ。だからこの補助金ですべてができるような書き方はするな」と言われたそうです。

あまり多くはありませんが,そこのところをよく理解している先生方もおられます。ある大学の先生は,自分の学会参加費だけでなく学生の分まで自腹で負担していました。また別の先生は,研究に必要な機材をどこからか自分で調達してきて研究室に持ち込んで,学生の研究に不便がないようにしていました。もっとえらいのは,小学校の先生です。研究費などというものはないので,子どもたちに魅力的な教材を与えて授業をしたい,となれば,すべて自腹なのです。しかも人数分必要になるので,磁石でもレンズでも,えらいカネがかかります。そういったことを「当たり前」のこととして日々子どもたちに授業を行っている先生方には本当に頭が下がります。

*3 研究機材を自己所有というのは一般には違和感があるかもしれません。しかし顕微鏡というのは自分向けに手入れして最高の性能を発揮するものです。一台を10人で使い回すような条件では,スペシャルチューンは難しいでしょう。なので,エキスパートになるには,研究者であっても,自己所有の顕微鏡で思う存分手入れして使うのが良いと考えます。もちろん,研究室の所有機材でスペシャルチューンができれば言うことなしですが,そのような環境に恵まれているところは多くないでしょうし,移籍したら一から作り直しで効率が悪すぎます。

*4 もうちょっと言うなら,制度と研究者にも問題があるかもしれません。制度的には,「備品」ですから,購入した物を破損なくそのまま使うようにしたいものです。研究の観点からは,そんなことにはこだわらず,備品と消耗品という区分に関係なく,やりたいことをやって,失敗して壊したっていいや,という気分で使いたいでしょう。でも大抵の人は,壊すことを恐れて自分で手を入れることはしません。研究者の方にいいたいのですが,研究目的から考えて必要なら,どんどん機材を改造しなさい。破壊を恐れず改造してデータを得ればいいのです。そのような破壊経験を積まずに成長することは,それほど簡単なことではありませんから。筆者もたくさんの光学機器をバラしました。それが勉強になるのです。むかし木工職人に聞いたのですが,一人前に木を加工できるようになるには,トラック二台分の木を削って練習する必要があるそうです。その方の鉋は,かなり固い八王子のヒノキに対しても恐ろしく切れました。町内会の御輿(みこし)を請け負って自分で作ってしまいました。何事も経験,ということがよくわかります。

*5 アマチュアは機材を買えるような研究費の交付を受けることがむずかしいので,ほぼ全てが自己所有の顕微鏡ということになるでしょう。それが良いのです。自腹で買い込んだ高額(光学)機材は徹底的に使いこなすものです。アマチュアがプロよりもはるかに優れた技術を持つことは珍しくありませんが,それは機材の自己所有によるところが大きいでしょう。いつも自分の傍らにあって,気になったことは全て試すことができる,というのが大きいのです。

*6 それと比較して,職業研究者は情けない現状にあります。自分の使っている機種名も,レンズの種類もいえない人が大半です。自腹で買ったら機種名もわからないなどというバカなことは起きないでしょう。ところが研究者の多くは顕微鏡を購入するときも,メーカー記載のお薦めセットをそのまま購入してしまうのです。顕微鏡は対物レンズもコンデンサもコントラスト法も,自分の研究内容に合ったものを選んでこそなのですが。オレは違う!と思った先生は,ぜひ,仲間の先生にその知識を広めてください。よろしくお願いします

*7 無限遠補正系で,ランプハウスフォーカス可能,軸出し可能,コンデンサ瞳面100%を覆う光源,フライアイレンズ,ランプ最大出力でも温度が変化しない鏡基,指を置いてもピントがずれないステージ,対物レンズと共役の位置を維持するコンデンサ機能といった仕様を満足する顕微鏡,有限補正系ならありますが,無限遠補正系でありますかね。筆者が中古機材にこだわる理由です。

*8 きょうの画像の右側のレンズは,最近ツァイスさんの国からやってきたものです。はじめて個人輸入しましたが,個人輸入代行業者のお陰で,ちゃんと手元に届きました。しかし届いたのはジャンク品で,補正環を回すと物体がどこかに行ってしまうという代物でした。レンズユニットが丸ごと動くという現象だったので,分解してスペーサーを挟んで固定しました。中古とはいえ,研究用顕微鏡の中古が買えるようなお値段で販売しているわけですから,不具合は記して欲しいものです。ツァイスの国はぴりっとしている面もあるかと期待していたのですが,間違っていたのかもしれません。

*9 人間は大好きなワンコと目が合うと幸せを感じ,幸せホルモン(オキシトシン)が分泌されことが知られていますが,一部のホモ・サピエンスでは,顕微鏡対物レンズやウルトラマイクロニッコールなどの,特殊レンズを所有したときにオキシトシンが分泌されるんじゃね? と思います。もしそうだとすると,大変危険ですね(^^)。 生命活動がレンズを要求してしまうのですから,身のまわりが高級レンズ,特殊レンズ,産業用レンズ,高性能レンズだらけになるのを避けることができません。わはは。






2012年9月4日


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珪藻を偏光法(クロスニコル)で検鏡すると,独特の見え方になります。非常に狭いスリット構造があると,照明の偏光面に対して特定の位置にあるときに,そのスリットが光ります。また,光学顕微鏡の分解能以下と考えられる微細構造が連続している部分では,その部分が一様に光ったりします。唇状突起と呼ばれる部分も,ステージを回転させながら検鏡すると明るくなったり暗くなったりする場合があります。明視野では条線にみえるものが,偏光顕微鏡では複雑な構造に見えてしまうこともあります。これらの現象にはすべて原因があるはずですが,すべての現象が解明されているとは言い難く,微細構造と見え方の間に関係をつけていく作業が残されているように感じています。研究課題としても魅力的ですが,相当に高度な技術と知識が必要になることは明らかなので,なかなか手が出しにくくもあります。画像はクチビルケイソウをグリセリン浸対物レンズ/グリセリン浸コンデンサで検鏡したものです。クロスニコルです。普段とは全く異なる姿になっています。この姿をどのように解釈するかが難しいのです(画像/MWS)。








2012年9月3日


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きょうの画像は手持ちの液浸系対物レンズの一部を並べてみたものです。研究用の顕微鏡対物レンズには色つきのラインが刻印(印刷)されていますが,これは,倍率と浸液に対応しています。対物レンズの根もと(ねじ込み部分)のラインは倍率表示で,これは皆さんもよくご存じのことと思います。10倍は黄色,20倍は緑,40倍は水色,60倍は青色,100倍は白ですね。先端側のラインが浸液の種類を表していて

黒:オイル
橙:グリセリン
白:蒸留水
赤:特殊(マルチイマージョンなど)

ということになっています。なお,当然ですが

ラインなし:空気(乾燥系対物レンズ)

です。これを知っていれば,そのレンズにどのような浸液を使えばよいのか一目でわかります。刻印がなくても判断できますし,判読できない言語で書かれていても関係ないわけです。

先日,乾燥系なのに油浸で使用してしまい像が悪化した対物レンズが持ち込まれ,それをメンテナンスしましたが,もし,レンズに刻まれているラインの意味を知っていたならば,このようなミスをせずに済んだことは言うまでもありません。多くの学生が一つの顕微鏡を使い回すような研究室などでは,ちょっとしたことでありながらとても大切な知識です。なおちょっとばかり付言すれば,油浸対物を乾燥系で使うという間違いはふつうに見られます。また油浸対物を使うのを面倒くさがる人が多い中で,もっとよくみえないかと乾燥系対物レンズを油浸にしてしまうというのは珍しいことで,そこにちょっとした向上心と好奇心が見え隠れします。きっとその学生さんは,このミスをきっかけに,エキスパートへの道を歩むような気がしています(画像/MWS)。



*1 なお位相差レンズの印刷は赤で行われることがあり,特に国産の有限鏡筒長の位相差対物レンズでは,乾燥系対物レンズにもかかわらずレンズの先端部分に赤のラインが入っているものがあります。中には胴の部分に赤ライン,先端にも赤ラインというシリコンオイル浸の対物レンズもあります。よくわからないときは浸液表示のカラーリングだけでなく,価格表やカタログなどで該当するレンズを調べてみることも大切です。

*2 専門家の中には油浸対物をグリセリンで使用するなどして球面収差をコントロールしている人もいます。このような技が必要な場面は確かにありますが,下手な浸液を使うとレンズを壊す可能性もあります。じゅうぶんな下調べと試行錯誤と経験と,少しばかりのレンズの破壊を乗り越えて,身に付いてくる技法だと思った方がよいでしょう。

*3 どの浸液を利用しても,使用後は速やかに拭き取ることが大切です。特に水浸対物レンズは,水が蒸発してシミを残してしまうとレンズに重大なダメージを与えることになります。オイルは多少放置してもガラスに悪影響は与えませんが,多量に使用した油浸オイルを拭き取らずに放置すれば,オイルが側面に垂れ,補正環などの部分から対物レンズの内部に染みこんでしまうことがあります。液浸系レンズはとにかくこまめなメンテナンスが必要です。





2012年9月2日


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新しい対物レンズを入手しましたので早速検品しています。有限系の補正環付き液浸系としては最高レベルの製品ですが,中古品しか流通していないので厳密な検品により劣化具合を判定する必要があるわけです。この作業は相当に難しいもので,時間がかかります。検査項目もたくさんあって,単純な見えから,蛍光特性,像の整い具合,分解能,フレア,偏光,平坦性,倍率色収差,白色光での結像,単色光の各波長での結像,低NAの結像,高NAの結像など,いくらでもあるという感じです。このようなときに大事なのは,ふだんよくみていて像のイメージが頭に叩き込まれている,いちばん慣れ親しんだ珪藻プレパラートを覗くことです。細かい部分の判定はさておき,まずはお気に入りのプレパラートをさーっと眺めてコンデンサを操作していると,その対物レンズの価値がだんだん見えてきます(画像/MWS)。








2012年9月1日


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珪藻の殻を撮影するときは,色再現を気にする必要がなく,その点は大変気楽です。珪藻被殻は無色透明であり,本来はモノクロ撮影すべきものだからです。ところが,生きているプランクトン撮影となると,その色も大切な情報なので色再現が気になります。デジタルイメージングではオートホワイトがあるので,バックをニュートラルにした画像を撮るのは容易です。しかし照明光源の波長組成が悪いと,プランクトンの色が再現されません。例えば,白色LEDで珪藻を撮影すると,本来の黄褐色がきれいに出なくて,緑色がかった色になってしまうことがあります。この場合,照明光の中に必要な色がないのが原因なので,どんなに工夫しても本来の色は望めません。そういうわけなので,カラー画像が必要な場合は,ハロゲンランプの光源につけかえて撮影しています。画像は海のプランクトンで渦鞭毛藻の一種(ディノフィシス)です(画像/MWS)。








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